---------------------オーディオの発達と音楽の関わり---------------------
・オーディオは、音声の記録技術として誕生
録音再生技術は、1857年、フランス人エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル
(?douard-L?on Scott de Martinville)
が発明したフォノトグラフが音を記憶する装置の最古のものとされていますが、この装置記録した波形を再生する手段は当時の技術にはありませんでした。1877年発明王として名高いエジソンは、ワックスを塗ったパイプ(鑞管)に音を溝として刻み、それを再生する装置を発表しました。その10年後にベルリナーが円盤型レコード蓄音機を発明します。このベルリナーが発明した円盤が、私達の知るレコードの先祖です。日本では、1910年に国産初の蓄音機「ニッポン・ホン」が発売され、その後1939年まで様々な形式の蓄音機が発売されSPの時代が訪れます。そして1951年にLPレコードが発売されます。その後1982年にSONYとPhilipsが合同でCDを発売するまでの約50年がアナログレコードの時代です。携帯オーディは、1979年にSONYが
「ウオークマン」を発売しています。デジタル技術による機器の小型化も手伝って、現在の音楽との触れあいのほとんどが「携帯プレーヤー/ヘッドホン」に変わりつつあります。いずれにしても初めて蓄音機が発売されてからの100年間は、後戻りすることなく「録音再生技術」は発達しています。このように今では一日の間で「音楽」に触れない時間がないほど身近な存在になった「録音再生装置(オーディオ機器)」は、当初「音を記録し、それをできるだけ忠実に再現する装置」として発明されました。SP時代まで、それは変わっていません。
・オーディオは、音楽の再生技術として発展
SP時代の主な再生装置である「蓄音機」は音声を物理的に増幅するだけの能力しかなく、記録された音声よりも大きな音を出すことはできませんでした。しかし、アンプやスピーカーの発明がこれを大きく変えます。アンプやスピーカーを使うことで(電気的な増幅装置、すなわちオーディオです)生演奏よりも「大きな音量で音楽が再現できる」ようになったからです。これは、音楽再生における最大のターニングポイントです。なぜならば「音量」は、音楽を聞く上で非常に重要な要素だからです。音量を生より大きくすることで、再生音楽は生演奏を超える「表現力」を獲得したからです。これは、アナログ記録がデジタル記録に変わったことよりも、オーディオの歴史の中で遙かに重要です。
・音楽を構成する要素
生演奏よりも大きな音量で音楽を再現できるようになったことが、なぜオーディオ機器のあり方を根本的に変えたのかその理由を今度は録音される側、音楽から考えます。音楽は、音が変化することで伝わります(音楽は音の変化で成立する芸術です)。音楽に必要な音の変化には、「高低」と「大小」そして「音色」があります。物質を構成する最小単位が原子ですが、すべての「音」は、「高低」・「大小」・「音色」の組み合わせで構成されると考えられます。これを「音の3原子」と呼ぶことにします。
・原音忠実再生は存在しない
完璧な録音再生とは、この音の3原子を正しく記録しそれを忠実に再現することです。これをオーディオマニアは「原音忠実再生」と呼び、オーディオのゴールと考えています。しかし、それは架空の世界の話で現実に録音された音が「そのままの状態で元に戻ること」は物理的にあり得ないことです。記録された音声信号を音に変換するのがスピーカーですが、現在のスピーカーなら音の3原子の中で「人間が音楽を聞くために必要とする音の高低」は、ほぼ完全に再現できると考えられます。そして「大小」に限れば、生音を拡大する(原音よりも大きな音が出す)ことさえ可能です。これに対し残された「音色」の要素はどうでしょう?
・音色とは何か
それでは、「音色」について考えましょう。1円玉、10円玉、100円玉の3種類の硬貨をそれぞれ何枚か用意します。1円だけを手の中で振ると、鈍い「アルミ(純アルミニウム)」の音がします。10円玉はそれよりも硬くて密度のある「青銅(銅/錫/亜鉛)」の音がします。100円玉はさらに硬く響きの引き締まった「白銅(銅/ニッケル)」の音がします。このように物質はそれぞれに固有の「響き」をもっています。これを楽器に当てはめて考えましょう。クラシックギーターにはナイロンのゲージ(弦)を使いますが、仮にこのゲージを金属に変えるとギターの音は全く違うものになります。この音の「大小」・「高低」とは関連のない音の質感の変化を「音色」と読んでいます。金属だけではなく、楽器に使われる木材(ボディー部)もそれぞれ固有の音色を持っています。
・オーディオ機器固有の音色
スピーカーでは「音色」はどのように再現されるでしょう?ウーファーやスコーカーの材質を変えても、再生される楽器の音色はあまり変わりませんが、ツィーターの材質を変えると楽器の音色は変化します。例えば薄い布を使ったツィーター(テキスタイルツィーター)の再現する弦楽器の音色は滑らかで艶やかですが、それを硬い素材を使ったツィーター(アルミ、マグネシウム、ベリリウム、ダイヤモンド、チタンなど)で再生すると、硬くクッキリした音色に変化します。もしツィーターに加工される前の素材を叩くことができれば、素材に固有の「音色」を聞き取ることができるでしょう。素材が薄く加工されたことで素材固有の音色は薄まりますが、それでも私達にはツィーターに使われる素材固有の音色が感じられるのです。
このようにスピーカーだけではなく、真空管やトランス、抵抗やキャパシタなどオーディオ機器を構成するそれぞれのパーツは特有の音色を持っています。
・高音発生原理の違い
また、楽器とスピーカーが発生する「高音」にも大きな違いがあります。ツィーターのような薄い膜を持たないバイオリンやシンバルは、固体の表面が波打つことで高音を発生しています。固体表面が高速で波打つと、固体に接触している空気は急速に圧縮され、場合によっては音速を超える音波(衝撃波)が発生します。音波が音速を超えると、レーザー光のように距離に応じて減衰しにくくなります。しかし、スピーカーに使われている薄い膜を往復運動させて高音を発生させるツ
ィーターでは、これほど急激な空気の圧縮が行われないため、距離が離れると高音は減衰します。楽器の高音が遠くまで良く通るのは、高音の性質が違うからです。
楽器の強い圧力を持つ高音とスピーカーの圧力の弱い高音は、質感が違って聞こえます。逸品館は楽器と同じ原理で圧力の高い高音を発生する装置を作り、波動ツィーター「CLT-3FV」という名称で製品化していますが。このツィーターを使うと楽器の音が、非常に生々しくなる(実在感が出る)ことからもこの考えが間違っていないことが証明されます。
・マイクロフォンの音色
オーディオマニアは、録音が完全であると考えています。しかし、それも間違いです。スピーカーに数多くの種類があるようにマイクロフォンにも多くの種類があり、方式や価格によってその「マイクロフォンの音色(録音されたときの楽器の音色)」は明らかに異なります。つまり、録音された段階ですでに、楽器の音色に色が付いてしまうのです。
また、マイクロフォンが捉えた面積の空気の振動(音)の「位相情報(音源とマイクの振動板までの距離関係)」を正確に再現するには、同じ面積の振動板から音を発生させなければなりませんが、スピーカーの面積はそれよりも遙かに大きく、マイクが捉えた位相情報を正確に再現できません。これ以外にも様々な要因があり、現在のマイクロフォンでは音声の完全な記録は不可能です。
「原音忠実再生」は、現在のオーディオ・テクノロジーでは不可能です。時々PCオーディオの世界では「ビットパーフェクト」と呼ばれる、デジタル領域での信号の完全性が求めるようですが、録音・再生のあらゆる部分ですでに破綻している完全性をデジタルデーターの領域だけで保ったとしても再生音声の品質が劇的に向上(改善)することはありえません。
・音楽家は高級なオーディオで音楽を聞くとは限らない
時々、「音楽家は高級なオーディオ装置で音楽を聞くとは限らない」という話を耳にします。もし彼らが音の良さ(心地よい音の再現)をオーディオ機器に求めていないのだとすれば、この説話には納得できます。
「名器と呼ばれる楽器の音」は、それを聴いているだけでうっとりします。私達は高級なオーディオ機器の音にもうっとりすることがありますが、それは楽器のように「再生装置そのものの音が心地よい」からだと考えられます。耳の肥えた音楽家をうっとりさせられるほど音の良いオーディオ機器は、価格も高く希少です。ではなぜ魅力を感じられないにもかかわらず、音楽家はオーディオで音楽を聞くのでしょう?
・音と音楽の違い
音楽の3要素は、「リズム」・「メロディー」・「ハーモニー」とされています。確かに名曲は、奏者や楽器が変わっても名曲であり続けますから、それは間違いないでしょう。音質が優れなくとも、「リズム」・「メロディー」・「ハーモニー」が心地よく再現されれば、そのオーディオ機器は立派に音楽を再現していると考えられます。つまりオーディオマニアが求める「音質」に完全に依存しなくても、音楽は再現できるのです。初期の録音機器であるSPの時代よりも遙かに音質が向上した現代のオーディオ機器よりも、レコードや蓄音機の音が良いというマニアの存在もそれを肯定します。
・オーディオ機器の音楽性
私は時々、機器のテストレポートで「音楽性」と言う言葉を使いますが、この言葉こそ「音質ではない部分での音楽の再現性」を示しています。もちろん、それは「リズム」・「メロディー」・「ハーモニー」という単純な3つの指標によるものだけでは、ありません。食べ物の味わいが「甘い」・「塩辛い」・「酸っぱい」のように単純な指標だけでは判断できないように、音楽性も「リズム」・「メロディー」・「ハーモニー」の単純な3要素だけで判断できるわけではありません。
オーディオ機器の音楽性を評価することは、生演奏を評価するのと同じです。あなたが聞きたいものが「音の良さ」ならば、高級なオーディオを選ぶべきです。高価格な製品は、低価格な製品よりも「音が良いことが多い(絶対ではありません)」からです。もし、あなたが聞きたいものが「音楽性」ならば、価格よりも装置の音楽性に重点を置くべきです。良い楽器を下手な演奏が奏でた場合と、悪い楽器を達人が奏でた場合のどちらが心地よく音楽を聴けるのか?その答えがヒントになると思います。
・人はなぜ音楽を聞くのか
音楽は「特定の心情をより多くの人間で共有する」目的で生まれました。宗教的な儀式や冠婚葬祭に音楽が使われるのは、音楽が心(心象)を共有する手段として最適だからです。
心にある感情が生じたとき、それを言葉で表現するには「変換」が必要です。日本人なら日本語に、アメリカ人なら英語に心象を変換しなければなりません。しかし、音楽なら心象をダイレクトに伝えられます。言葉を持つ遙か以前に人類が交わしていたであろう「言葉を持たない音の変化(うなり声や歌い声)」が発展したものが音楽と考えられます。
音楽は言葉と違い、知識や教養のように後天的に身につくものではありません。私達のDNAに刻まれた太古からの記憶だからこそ、人は百の言葉よりも一つの音楽に深く感動することがあるのでしょう。人間に近いイルカや鯨の呼び合う声が時として「歌」のように聞こえるのは、DNAが人間に近い彼らの歌が人間の心にも伝わるからでしょう。人が音楽を聞く理由。それは、ただ一つ。人と繋がりたい(コミュニケーションしたい)からです。
・感動には二つの種類がある
人間の感情の動きには、喜怒哀楽があります。話をわかりやすくするために「喜=黄色」・「怒=赤」・「哀=青」・「楽=緑」のように感動に色を付けましょう。音楽で感情を表現したい場合には、感度の種類に対応する「色(音色)」で楽器を演奏します。黄色い音色を濃くすれば喜びが強く表現され、青い音色を強く演奏すれば悲しみがより強く表現される、という具合に色と音色が対応すると考えます。録音されたこれらの音楽を再現するとき、オーディオ装置の音色が「黄色」であればその装置の音は明るく、「青色」であれば暗く再現されると考えられます。つまり、聞き手は自分オーディオ機器の音色を選び、演奏の魅力をより強く引き出すことが可能です。
しかし、感動には喜怒哀楽に属さないものが存在します。壮大な景色を見たときに感じる言葉にできない心の動きがそうです。この感動はあらゆる感情が「フラット(公平)に入っていると考えられます。色で表現するならば「白」もしくは「透明」な感動と考えられます。この「透明な感動」を伝えるために演奏された音楽を「色つきのオーディオ」で再現すると、透明感が損なわれてしまいます(あるいは白に色が付いてしまいます)。これを音に例えて表現するならば、「風」・「波」・「風鈴」などの「無作為」の音が「透明な音」で、「歌声」・「楽器」・「話し声」などが、「有色の音」と考えられます。
あなたが音楽に何を求めるのか?何色にしたいのか?それがオーディオ機器を選ぶ時の指針となります。
・生演奏とオーディオの違い
ここまでは主に、オーディオでは生演奏を再現できないというお話を続けてきました。次に生演奏とオーディオの違いを考えましょう。
端的に言うと生演奏とオーディオの違いは、風景と風景写真のちがいです。風景を見るときは、その現場の空気や音など「視覚情報以外」の情報も体に入ってきます。風景を精密な写真に収録することで「視覚情報」は、ほぼ完全に記録できますが、それ以外の情報は欠落します。生演奏とオーディオも同じです。生演奏では音以外の様々な情報が体に流れ込んできます。オーディオでは、音だけが再現されるに過ぎません。それが、生演奏とオーディオの根本的な違いです。
・写真と絵画の違い
つぎに風景写真と風景画の違いを考えましょう。写真は、目に見える情報を公平かつ精密に記録し再現します。風景画は、作者が選んだ情報をデフォルメして記録します。人間が介在しない写真に対し、絵画では人間が情報を取捨選択することが大きく違います。さらに色の濃さを変え対象物の形を変化させることで、記録する(描く)情報を作る(クリエイティブする)ことができます。その作業こそ、芸術そのものです。
オーディオでは収録の段階で、すでに取捨選択がミキサーやエンジニアの手によって行われています。再生段階では、オーディオ機器の使い手により、さらに取捨選択が行われます。再生される音楽は、生演奏が複数の人間の手でデフォルメされたものになります。その作業もまた芸術です。つまり、オーディオとは演奏者・録音技術士・再生技術士(オーディオマニア)が作り上げる、新たな芸術であると考えられます。
録音技師や再生技術士が生演奏に改変を加えることを「良くない(冒涜)」と考えることもできますが、生演奏と同じ音楽を記録することができない以上「生演奏が持っていた芸術性をできるだけ損なわない」という取捨選択をすることで、生演奏を可能な限り損なうことなく再現することが可能だとも考えられます。
いずれにしてもオーディオでは演奏者以外の介在を否定することができず、その第三者の介在が「音楽の再現性の決め手」となることは間違いありません。