低音の力感、量感、質感が大きくアップする。最初に組合せたAIRBOW
PM15S2/Masterも低音には自信があったのだが、さすがに250万円のアンプは違う。以前にテストした100万円のBurmester
"051"とは比べものにならない。"051"なら、AIRBOW
PM15S2/Masterでも勝負?できたかも知れないが"032"は格が違う。車の排気量に当てはめるなら2倍くらいの差は充分に感じられる。
耳でハッキリとその違いが聞き取れる低音とは違って、"032"とPM15S2/Masterの高音の鮮度感や解像度感には大きな差はない。しかし、"質感"にはハッキリした違いがある。価格が10倍も違うのだから当然だが"032"の中高音はPM15S2/Masterよりも木目が細やかでデリケートだ。
繋いで音を出した瞬間から感じられることだが、"032"と"B30"のマッチングは素晴らしく良い。純正の組合せだからそれは当然なのだが、Burmesterが「自社製品の組合せを強く推薦している理由」がその音からよくわかる。一切の破綻なく、音楽を薫り高く、デリケートで色っぽく聞かせてくれる。極上の味わいがそこにある。
試聴の締めくくりにプレーヤーをAIRBOW
SA15S2/MasterからEMT 986に変える。ディスクは変えない。
EMT
986 MK2 \750,000 (生産完了)
接続は比較のためアンバランスのままで聞く。SA15S2/MasterとEMT
986の価格差は約3倍だが、アンプの違いで感じたのと同じように、「耳に聞こえる音質差」はそれほど大きくはない。SA15S2/Masterでも充分に細やかな音が出ていたからだ。しかし、雰囲気の繊細さはやはり違う。音質はさらにクリーミーな味わいと厚みを増し、音楽の表情に艶と深みが出る。両者の違いをウィスキーに例えるなら、17年と30年に相当するのだろうか?そういう熟成度の違いが音に出る。
ボーカルの唇は肉厚でしっとりと濡れている。ピアノの音は煌びやかだが厚みがあり、ベーゼンドルファーに似たほのかな色気と繊細さが感じられる。ベースは太く地面に根を張るようだ。高域はマイルドだが、時折ハッとするほど「明瞭」な音を出す。特に魅力的なのが中域の厚みだ。録音すると薄っぺらくなりがちな中域に、生演奏のような厚みと温かさが加わって感じられる。この魅力的な中域に比べ、高域はやや物足りなく感じられることがある。この点でBurmesterの評価の是非や、好き嫌いが分かれるかも知れない。
通常、音楽を躍動させるためには普通、高音の明瞭度がなによりも欠かせないと考える。生音とオーディオの音を比べると「高音の鮮度感の違い」がまず最初に耳に付くからだ。オーディオの切れ味(アタック)を生音に近づけたい。私も当初はそう考え、AIRBOW製品も初期はそういう「どこにもない切れ味」を目差し、それを高いレベルで実現していた。しかし、そう言う音は「ソフトの粗」を暴きやすく、良い音で聞こえる「スィートスポット」が小さくなる。オーディオの音を生音に近づければ、近づけるほど「市販ソフトが聞き辛くなる(ソフトの粗を暴きすぎる)」のだ(この点については先にお話ししたTADのお二人も全く同意見で、M600もそういう方向の音作りがなされている)。
しかし、最近私は「中低音の表現力を向上」させることで、高音の明瞭度を無闇に追わなくても「豊かな音楽の表現力を獲得」できることに気がついた。忠実に生音を再現するのではなく、絵画のように「生音にある程度のデフォルメ」を加えても、生演奏を彷彿とさせる音は出せるのだ。そして音楽の表現力を中低音域に移行すれば、ソフトを楽しめる「スィートスポット」も広がる。高音はシステムや録音の善し悪しに左右されやすいが、中音はそれよりも忠実に再現しやすいからだ。それはラジオの音でも音楽を心地よく楽しめる事で証明される。現在のAIRBOW製品は、そういう方向性を与えたモデルが増えているが、同時に初期の「切れ味命!」のサウンドも大切に守って行くつもりだ。
ただし、このある意味で「巧妙なすり替え」が成功するには一つ条件が必要になる。それは「右脳と左脳の連携」ではないかと思う。簡単にいうなら「理屈で音を聞かないこと」だ。通常、楽器の音は直接「右脳(イメージ脳/芸術脳)」に入るといわれている。しかし、日本人は例外的に「左脳(デジタル脳/論理脳)」を経由することが多いらしい。「左脳」に入った音が「右脳」に伝わらなければ、音楽はイメージ化しない。音は単に音でしかなく、音楽も単に「音の善し悪し」としか捉えられなくなる。音ばかり気にしている「オーディオマニア」は、この傾向が強いと考えられる。絵画を近くで見ているようなものだ。細かい部分の善し悪しからでは、全体に通じる「本当の良さ」は分からない。
オーディオマニアの男性よりも、女性の方がオーディオ器機の「本質的な良さ」に気付きやすいのは、女性が生まれながらに左脳と右脳の連携が活発(左脳と右脳を繋いでいる、脳梁が男よりも太い)で、音からイメージを形作りやすいからだろう。また、この「音からイメージを作る能力」は、経験(人生経験など)に培われてどんどん発達する。それに比例して、加齢と共に高音を聞き分ける能力は低下するから、若年者よりは年配になればなるほど「音楽の本質」には、より近づきやすいのではないだろうか?イタリア製コンポのポップなお洒落さとは正反対のトラディショナルなデザインがBurmesterには与えられているが、同じドイツ製のベンツやポルシェに通じるその重厚なデザイントレンドも含め、Burmesterはやや年配向きとも言える。
このように、Burmesterの音作りは鮮度感の薄い高域の表現力を中域の厚みが補う事で成り立っているのだが、ここであることに気がついた。試聴を行った日の天気は雨で空気は湿度が多かった。こんな日はスピーカーの音も湿っぽくなりがちなのだが、"B30"はそんな湿度の多い空気の中でも艶やかに鳴りこそすれ湿っぽくは感じられなかったのだ。
もしかすると?と思ってドイツの湿度を調べてみると、日本と同じように湿度は高いようだった。湿った空気の中でも音楽を明るく鳴らせるこの独特な能力は、日本と同じ湿度の高い気候から生まれたものではないだろうか?と考えたのだ。そういえば、私が好むPMCやQUADも雨の多いイギリス製であるし、Vienna
Acousuicsも湿気の多いウィーンの生まれである。これらを偶然と片付けるよりも、スピーカーの作られた国の気候が製品の音質に密接に関連すると考える方が理に適っているだろう。
とにかく、今朝出社したときぐずついた天候のせいもあって「やや優れなかった気分」が、BurmesterでJAZZを聞いていると「爽やか」になった。BurmesterはZingaliのように「全身で感じられる爆発的な陽気さ」は持ち合わせていないが、違う方向からじわりと心を癒しパワーを与えてくれる力が確かにある。それは価格に置き換えることのできない高級品の「真の魅力(実力)」だと思う。Burmester
"B30"/"032"、EMT "982"のセットで約460万円になる。それを欲しいか?と問われれば「欲しい」と答えるだろう。心の底からリラックスできる時間が手に入るなら、その価格は正当化することができるからだ。ポケットに400万円ちょっとのお金が入っていれば(ずいぶんと大きなポケットだが)、自分の人生に力を与えてくれる素晴らしいコンポを買うのは、決して悪くない。少なくとも、ガソリンを節約するために車を買い換えるよりは、ずっと有意義な気がする。
今回の試聴の締めくくりにアンプをPM15S1/Masterに戻し、プレーヤーをAIRBOW
X05/Ultimateに変えてVienna Acoustics "THE MUSIC"を聞いてみた。
AIRBOW
X05/Ultimate \580,000 生産完了
AIRBOW PM15S2/Master \250,000 生産完了
Vienna
Acoustics THE MUSIC \3,200,000(ペア)
アンプの価格は1/10になってしまったが、それをスピーカーが補ってくれる。
低音はより太くクリアになり、ボーカル帯域はBurmasterが持っていた「脂気」が抜けて端正になるが、引き替えに透明感がグンと向上する。
ピアノの音はベーゼンドルファーから、煌びやかで澄みきったスタインウェイのサウンドに変化する。
シンバルの音はやや軽くなるが、芯はシッカリした。
音質の傾向は変わるが、体に伝わる「情報量」は明らかに増える。確かにTAD "M600"でTHE
MUSICを聞いたときに感じたような「恐ろしいまでのきめ細やかさ」はない。しかし、それでも充分多い情報量からは、その場の空気感までが伝わってくる。良く聞くと、TAD
"600"よりも「情報量」は少ないが、AIRBOWは「響き」が多い。両者には、そんな違いが感じとれる。端正だけれどほんの少しの色気がある音。"THE
MUSIC"の鳴らし方としては、これはこれで悪くない。
この音を聞くために必要なスピーカー、アンプ、プレーヤーの総合計は約320万円で、Burmesterよりは100万円近くお買得だ。もちろん、絶対的にはどちらも高価なシステムであることに変わりはないけれど、魅力的という意味合いではこのセットも充分Burmesterに匹敵する。要は「好み」の問題ではないかと思う。