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逸品館の目指す「音質」とは? オーディオの発祥と発展 スペックに表れない音 例えば「音色」はどうでしょう? 音色という音 次に「固有の響き=音色」を楽器に当てはめてみましょう。クラシックギーターにはナイロンのゲージ(弦)を使います。仮にこのゲージを金属に変えるとギターの音は全く違うものになります。同じ高さ、同じ大きさの音を発生させても「ナイロン」と「金属」の音はまったく違って聞こえます。さらに楽器の音色は、演奏者のタッチ(楽器の弾き方)でも、大きく変化します。 音色と声色 人間は「コミニュケーション」の手段として「言葉」を発明しました。歌い手によって内容が大きく変わってしまう「歌」がアナログだとすれば、誰が読んでも意味は変わらない「言葉」はデジタルです。けれど同じ言葉でもアクセントや声色が変わると印象は大きく変わります。男性アナウンサーと女性アナウンサー、あるいは地域によるアクセントの違い。そこにはまだ人間が「言葉を持たない時代の名残」が残っています。 音色は感情に対応する もし、オーディオ装置の音にも同じように色がある(色がつく)とすれば、黄色い音色を濃くすれば喜びが強く表現され、青い音色を強く演奏すれば悲しみがより強く表現されるに違いありません。 けれど人間には喜怒哀楽に属さない感情が存在します。壮大な風景を見たときに感じる、言葉に言い表せない感動などがそれに該当するのだと思いますが、その感動は、すべての感情が「フラット(公平)に交わっている」と考えられます。すべての色が公平に混じった状態は、色で表現するならば「白」もしくは「透明」が該当すると思います。そういう「無色(喜怒哀楽に偏らない感情)」の音色も存在します。
音色と響きの関係 楽器も同じです。ゲージ(弦)は同一でも、共鳴部(胴)が異なれば、より細やかで複雑な響きが発生します。携帯電話の通信と同じように楽器も、単純な音波よりも複雑な音波がより多くの情報=感動を伝えます。共鳴、共振、つまり「響き」によって単純な音がより複雑(意味深い)な音へと変化します。 逆にシンプルな波形の音は、より強く1つの思いを伝えますが、この時「雑味のある響き」は発生してはならず、瞬時に強い音を発生する(過渡特性に優れている=アタックが鋭い)ことが、重要なポイントになります。 オーディオ機器の音色 では、オーディオ機器は「響き」を発生しないのでしょうか? スピーカーでは、ユニットに使われる振動板やキャビネットに使われる「材質」によって、固有の響きが発生します。アンプなどでは、音楽信号が通過する部分の材質などによってやはり、固有の響きが発生します。機器が発生する響きが多いと、機器固有の音色は強くなります。徹底した防振措置などにより、響きを発生しないようにすると機器固有の音色はほとんどなくなります。 このようにすべてのオーディオ機器は、大なり小なり固有の音色を持っています。そして入力された音楽信号は、オーディオ機器が生じる「響き」によって複雑に共鳴し、音楽(入力される音)に新たなニュアンスを与えます。 オーディオ機器の響きを音質改善に利用する 真空管では「300B」が特別に音が良いとされています。これは、300Bという真空管の持つ響きが、高級楽器と同じように美しいからだと私は考えています。だから、ウェスタン・エレクトリックの300Bだけが特別なのであって、それを似せて作られた、あるいはそれを改良しているというような「似て非なる300B」には、そういう美しい音を生み出す能力はないでしょう。 楽器がそうであるように、オーディオ機器にとっても「響き」は命です。そして「私が理想」とする「より良い音で音楽を奏でてくれるオーディオ機器」は、すでに存在します。 話は変わりますが、デジタル技術の進歩は、「白黒だった映画をカラーに変換」。あるいは、「解像度の低い映像をハイビジョンに変換」することを可能としました。結果を見れば、すごいことが行われているように感じられますが、その方法はそれほど複雑ではありません。あくまでも「残された情報」つまり「波形」から、失われた「波形」を推測し復元しているだけです。 音楽信号も「波形」の状態で保存されていますから、同様に失われた波形を推測し、復元することが可能です。映像と違うのは、その復元に「複雑なプログラムやデジタル演算が不要」だと言うことです。なぜならば、音楽信号が失った波形=響きは、物理的な方法で復元できるからです。オーディオ機器を楽器の「胴」と同じように響かせることができれば、複雑な響きが失われた単純な信号を、再び元の複雑な信号に復元できるからです。 例えば、EARの真空管アンプは、明らかに固有の響きを持ち、それによって「音楽をよりスィートなもの」として再演奏してくれます。EARだけでなく、優秀な設計者はオーディオ機器によって、楽器の美し響きを再現する方法に気づき、その技術を持っています。 オーディオ機器による音質改善で気をつけたいこと けれど、あまりにも再生機器が付加する色(響き)が強くなりすぎると、演奏者が伝えようとしたことが伝わらなくなってしまいます(大きく改変されてしまいます)。生演奏をできる限り正確に再演奏したいとお考えなら、この部分には注意が必要です。 原音楽と再生音楽の違い では「原音忠実再生」に最も遠い「ステレオ再生」は、どのように考えれば良いのでしょう? 私は「写真」と「絵画」の関係がそれに当てはまると考えています。 ある「風景」を「記録(残す)」ことを考えましょう。それを「記録写真」として残したいなら、目に見える情報すべてを公平かつ精密に記録し再現しなければなりません。そんなことができるのでしょうか?現在の技術では不可能です。すべてを記録することはできず、なんらかの「取りこぼし」が発生します。 それに対して「絵」、つまり風景画として記録する場合には、すべてを平等に記録するのではなく、あらかじめ作者が情報を選んで(切り取って)保存します。さらに色彩や対象物の形を変化させて描くことで、記録する(伝える)情報を作り変える(クリエイティブする)ことができます。人間が手を加えて作り上げた「架空現実」が、芸術そのものです。一言で言うならば、「情報」を人間が「取捨選択」した結果が「芸術」であると言えるでしょう。 生演奏の記録では、まず収録の段階で「マイクの種類と配置」によって「記録される音声」が決まります。同時にミキサーの手によっても「記録される音声」が選択されます。さらにマスタリング時には、エンジニアの手によって「取捨選択」が行われます。そして、「オーディオ機器の使い手」により、最終的な取捨選択が行われ、再演奏が行われます。つまり、オーディオとは演奏者・録音技術士・再生技術士(オーディオマニア)が合作で作り上げた、新たな芸術だと考えられます。 確かに録音技師や再生技術士が生演奏に改変を加えることを、「良くない(冒涜)」と考えることもできます。しかし、常に音楽家だけが最高の芸術家だとは限りません。録音から再生に至る過程で、正しい「取捨選択」が行われた場合、生演奏を限りなく生演奏のまま再生することも可能ですし、あるいは生演奏以上に生演奏らしく、すなわち演奏者と聴衆を時を超えてより密接に結びつけることも可能になります。 それは言い過ぎだとしても、オーディオでは演奏者以外の介在を否定することができず、その第三者の介在が「音楽の再現性の決め手」となっています。 オーディオの価値は価格では決まらない 世界的に有名な画家「パブロ・ピカソ」は、初期には充実に写実した絵を多く残しています。彼は忠実に写実した絵から「何を省くか」という実験を繰り返し、結果として「何が残れば良いか」を見いだしました。彼なりに余計なものを省いた結果、最終的に「抽象画」に行き着いたのです。 芸術の本質が「情報量」でないように、芸術が人間の「取捨選択」によって生み出されるものならば、「音(録音)」も正しく取捨選択されれば、「芸術性」は一切損なわれません。また「音質」が限られていたとしても、人間に必要な音だけを残すことができれば、「生々しい情報」を伝えられます。フルトベングラーのモノラル録音が、人の心を打つのはまさしくその証明なのです。 逸品館は、オーディオ機器を「単なる家電」とは考えていません。それは「情報機器」であり、また「芸術品」だと考えています。より高価な機械は「より豊富な情報=より良い音」を伝えます。けれど、それよりも重要なのは「どんな音を伝えるか?」です。 大企業は、ハイレゾなどの高精細フォーマットや高級機器でなければ、技術水準が高く再生できる情報量が多ければ(=音が良ければ)より深い感動が伝わると主張しています。確かにそれは「一理」あります。高価な代価を払えば、より密接に人と繋がることができるのでしょうか?つまり、高額なオーディオ機器であればあるほど音楽的な感動が深まるのでしょうか?私はそうは考えていません。なぜならば、機械に「心」は「ない」からです。 大切なのは、心を持って「伝える音」を選ぶこと。「残す音」を選ぶこと。オーディオ機器によって時空を超えて、演奏者と聴衆を繋ぐために、心を込めて「音を選ぶ」必要があり、それがなによりも大切です。 ミュージシャンがスタジオで録音するとき「目の前に聴衆」はいません。私達がオーディオで音楽を演奏するとき「目の前にミュージシャン」はいません。けれども「ミュージシャンの伝えたい」という想いと、オーディオマニアの「聞きたい」という想いがひとつになれた瞬間、オーディオ機器は演奏者の魂と、リスナーの魂を繋ぐことのできる存在になるのだと私は考えています。
2022年2月 逸品館代表 清原 裕介 |
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