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逸品館ショッピングカートメルマガ 2007.04.23
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オーディオにおける「ゲイン、オブ、ワイヤー(原音忠実再生)」は、間違いであるという持論を展開してきました。「再生時に音を変えても良い」という私の考え方は、感覚だけではなく経験と科学的な考察に基づく確かな論拠があるのですが、実はそれ以外にも大きな理由があったのです。

それは「音楽は音楽家だけのものではない」という私の考えです。私が尊敬する音楽家の一人は「セルジウ・チェリビ・ダッケ」ですが、彼は録音を極端に嫌い「自分の音をオーディオによって変えられる」ことを「絶対に許さなかった」事で有名です。確かに音楽家から見ると自信の命と引き替えても良いとさえ思えるほどの迫真の演奏をオーディオで作り替えられるのは「冒涜」に値する行為に見えるかも知れません。確かに、私も2000年前後は、この考えに賛成でオーディオマニアごときが「音楽家の音を変えてはならない」と強く思いこんでいました。でも、それを追求した結果音楽は生気を失い、こじんまりとした躍動感が感じられない演奏になってしまいました。私がストイックなまでに追いつめた2chの音は「凍り付いたモノクローム写真」のようだったのです。

 

追求した結果が、こんなにつまらない世界ならオーディオなんて止めてしまおうか・・・。と落ち込んでいるときにサラウンドを手がけ、その圧倒的な表現力に驚愕しました。サラウンドを知ってから数年間の間は、ピュアオーディオ(2ch再生)なんて過去の物になっても良いと考えるようになってしまうほどでした。サラウンドを追求することで2chオーディオに「足りなかったもの」が浮かび上がりました。サラウンドで聴く音楽は、音のプラネタリウムの中心にいると感じるほど「立体感」が豊かです。サラウンドで聞く音は、音の万華鏡の中に自分が入り込んでしまったかのような「色彩感」に満ちあふれています。この圧倒的な「立体感」と「色彩感」が2chオーディオに不足していたのです。2chが「凍り付いたモノクローム写真」なら、サラウンドはあたかも「テクニカラーの立体映像」です。


サラウンド熱が一段落したそんな時、AMPZILLA 2000とAMBROSIAの音に触れて、気づきました。AMPZILLA 2000やAMBROSIAには「極端なまでの原音追求思想」は、存在しません。それよりも、ソフトに収録されている演奏を「より楽しく!」、「より躍動的に!」、「音楽を楽むため!」の「積極的な音作り」が行われています。2chオーディオが悪いのではなく、私がストイックなまでに「原音追求」を行っていたことが間違っていたのです。2chオーディオでは、「音を自分の環境や好みに合わせて調整」しなければ、音楽は楽しめません。2chオーディオでは、そのままでは不足しがちな「何か」を補う「くふう」を自分自身で考え出さなければなりません。また、その努力を通じて「音楽への理解を深める」ことこそ「2chオーディオ本来の楽しさ(趣味性)」だったのです。


これが、私が繰り返している「原音忠実再生を否定するオーディオ的な考え方」です。今からお話しするのは、「原音忠実再生を否定する音楽的な考え方」です。

 

音楽とは、元々「言語を使わずに心象を伝える手段」として発達してきました。言葉という面倒な方法を使わずに「心を伝える」あるいは「気持ちを共有する」ことを可能とするのが音楽です。冠婚葬祭などのセレモニーや映画のバックに「音楽」が使われるは、そうすることで「より強力な一体感(感情の共有)」が行えるからです。

 

では?音楽家は、なぜ人前で演奏するのでしょう?それは「誰かに聞いてもらうため」です。一人で演奏しているときもありますが演奏者は、その時演奏家であると同時に聴衆でもあると考えられます。演奏家が自分のためだけではなく、聴衆に向けて演奏するのは、「聴衆との一体感、感動の共有」を目的とするからです。誰にも聞いてもらえないコンサートよりも、聞いてもらえる人がいるコンサートの方がずっと楽しい!そういうことです。

 

繰り返します。音楽は、言語を使わない伝達手段(コミュニケーション)です。コミュニケーションは、一方通行よりも相互通行、一人より二人、二人より大勢の方が楽しいに決まっています!それは、おしゃべりと同じです。感動を一人の中に納めているよりも、それを外側に向けて発信し感動のバイブレーションの輪が大きく広がれば広がるほど、その音楽は素晴らしい価値を持てるのです。「名演奏は、聴衆が作る」という言葉通りです。「聞いてくれる人=聴衆」の存在が音楽の価値を高めます。


私はこう考えます。音楽において「演奏者」と「聴衆」は、どちらが上下の関係ではなく常に「対等」であるべきだと。「演奏者」と「聴衆」は、師弟でもなく、ベテラン、ビギナーもなく、一つの音楽の前で「等しくあるべき」だと思うのです。音楽を感じるアンテナは、生まれながらに誰にでも備わっています。そのアンテナを「固定概念」とか「自己満足」で錆び付かせることがなければ、音楽は誰にも等しく伝わり、誰もが平等にその感動の輪の中に入ることができるはずなのです。


この「私が考える音楽平等論」を生演奏からオーディオに展開すると次のようになります。「録音した人(演奏家やエンジニア」と「再生する人(オーディオマニア)」は、対等であり同じ「感動を共有すべき存在」であると。演奏家がより感動的に演奏を行うのと、オーディオマニアがより感動的にソフトを聞こうとする行為は同じです。演奏家が演奏に命をかけているのなら、オーディオマニア(音楽ファン)もそれを少しでも楽しく聴くことに、いい音で聞くことに命をかけているのです。だからこそ、WIREWORLDのような「ただのケーブル」にあれほどの価値を認めることができるのです。高価なオーディオ製品が存在することが「オーディオマニアが音楽(音)を軽んじていない証拠」です。菅野沖彦氏が著書の中で「レコード演奏家」という言葉を使っておられますが、これほどオーディオマニアの心情を上手く言い表した言葉は他には考えられません。

音楽という素晴らしい芸術の前ですべての人は平等であって欲しいと思います。貧富と環境の差が大きく、こんな不平等な地球の上で「音楽」だけは、すべての人に平等であって欲しいと心から強く願うのです。安い機器でもかまいません。悪い音でもかまいません。音楽を楽しく聴く!そのためだけに、オーディオを続けてください。きっとそこから感動の輪が広がり、それが繋がり、心と人生が豊かになるはずですから。

もし、オーディオに迷いが生まれたら逸品館を思い出してください。良い機器に巡り会えないと思ったら、AIRBOWをお試し下さい。きっとお役に立てると思います。

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