逸品館メルマガ バックナンバー 058

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逸品館ショッピングカートメルマガ 2007.10.23
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私は、車が好きで「カーグラフィック/CG」という雑誌を、30年近く前から愛読しています。この雑誌には、カーグラフィックの初代編集長、小林彰太郎さんのコラムが連載されていますが、彼が書く文章には、主題だけではなく数々のエピソードがちりばめられ、読んでいてとても楽しく、意味深く、いつも感心させられます。それに引き替え、今この雑誌の論評を書いているCG社員の文章は、観点が限られ、内容も浅く、日本語も乱れていて、この30年間でカーグラフィックの質もずいぶんと落ちたと感じざるを得ません。日本を代表する、カー雑誌の草分けでさえこの有様ですから、オーディオ雑誌の質の低下も仕方がないのかも知れません。私がステレオサウンドを読むようになったのは、カーグラフィックよりもずいぶんと後なので「芥川賞」を受賞した「五味康祐」さんがステレオサウンドのコラムを執筆していた時代を知りません。残念なことです。多分その時代を知るオーディオマニアの方なら、当時と今では「オーディオ」という趣味自体が大きく変化したことを嘆いていらっしゃるかも知れません。

そんな中、今発売されているカーグラフィック2007年11月号に「素晴らしい記事」を見つけることができました。180ページ「舘内端(たてうちただし)」さんの「FEED UP/"パリン"の意味するもの/情報が合ってこそ」です。詳しくは、このコラムを是非読んで欲しいのですが、その内容をかいつまんで紹介しましょう。(文章は、私が内容を尊重して編集しています。興味を持たれたなら、かならず原文をお読み下さい。)
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(CGより引用)
■"パリン"の意味するもの
"パリン"とは、インドネシア、バリ島の一種の病気で、移動の情報を正確に手に入れなかったときに生じる精神的な不安定症状のことである。中村雄二郎氏の「魔女ランダ考−演劇的知とはなにか−」(岩波書店 刊)に紹介されている。そこから簡約して引用すると、ある7才のバリ島の子供を、舞踏を習わせるため師匠の住む遠くの村へ送り届けた。ところが、自動車に乗せて送ったために、その子は方向感覚を失ってしまい、村に到着して3日が経っても、目が回り不快になって、何も手が着かない状態であった。これは"パリン"だと言うことになって、もとの村に返すと、よく知った大地の上に戻ったために、その子は我に帰って元気になった。それから数日後、今度は注意深くその子を自動車で師匠の村まで送ったが、やはり"パリン"になってしまった。そこで、その子を野原の真ん中に連れ出して、北方にそびえ立つ霊峰グヌン・アグンを仰ぎ見させると、その子は方向角を取り戻し、たちどころに"パリン"は、治ってしまった。

私たちもいきなり知らない町に連れて行かれたりすると不安になる。それは、方向的、あるいは地理的な情報を失ったため、自分自身が確立できなくなるからである。同様に、脳内の神経伝達物質であるセトロニンが欠乏すると、脳内での情報伝達に支障をきたし、生じている事態を正確に掌握、認識できなくなって、正しい判断ができなくなりパニックを起こすことがある。このパニック障害と呼ばれる精神の病は、セトロニンを調整することで防ぐことができる。この二つの症例が示すことは、情報とその伝達が、人間が生きる上で大変に重要だと言うことだ。

■情報があってこそ
ひるがえって、自動車の運転を考えてみると、ドライバーは視界を中心に、五感を駆使して情報を収集し、それを判断し、車を正しく操縦する。つまり、自動車の運転には情報が大変に重要だと言うことだ。自動車の自動化は便利だが、自動化によって自動車から伝わる情報が欠如することになる。情報が欠ける自動車や、情報が発信源から正確に伝わらない自動車は、とても運転しづらいし、場合によっては危険ですらある。

突然だが、人はどんなときに嬉しいと感じ、幸福感に満たされるのだろうか?ひとついえることは、喜怒哀楽が感じられるときだ。たとえ悲しくとも、悲しさをきちんと感じられれば、悲しみを受け止められ、気持ちが落ち着く。これもまた幸福の一つの形だ。喜びも、それを感じられてこその喜びである。喜怒哀楽は、人が人になるための必須条件といってよい。

喜怒哀楽を感じるには対象からきちんと情報が発信され、それを受け取らなければならない。情報源の発信能力と、私たちの情報受容能力が確かである必要がある。私たちは、外部の情報を受け取り、身体内部の情報とすり合わせ、その場に適応するよう身体を変える(新しい秩序を作る)。たとえば、気温が上がれば汗をかいて体温を調整する。このように、情報に基づいて新しい秩序を形成できてこその生物なのだ。

ところが、外部からの情報が遮断されたり、セトロニンが適切でなく内部での情報伝達に支障をきたすと、精神的に不安定になり、身体的にも好ましくない状態になる。

前回に述べたが、清水 博博士によれば、生命の最大の特徴は、「マクロな系に生物的秩序が自発的に出現すること」であるという。この秩序を形成するための栄養が情報なのである。そして、情報をきちんと受け止められたとき、人は嬉しいと、あるいは楽しいと思う。

情報の発信力の弱い、あるいは情報が適切でない自動車は、運転しても自分を確立できず、したがって嬉しくも楽しくもないのだ。静かだからといって、そのクルマが人を幸せにするとは限らない。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
彼のこの主張は、私のオーディオ(音)やホームシアター(映像)に関する主張とほぼ完全に一致します。音が良いからといって、映像が綺麗だからといって、それらの機器が人を幸せにするとは限りません。なぜなら、最も重要なのは、それらが発信する「音」と「映像」が、正しく適切な情報としてあなたの「脳(心)」に届くことだからなのです。

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