逸品館メルマガ バックナンバー 087

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逸品館ショッピングカートメルマガ 2008.7.20

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今日の話題は、掲示板の投稿への私の返答にまつわるお話です。投稿の内容は「ク
ラシックを中心に音楽を聞いていたが、最近ジャズも良いなと思ってきた。しかし、クラシック主体にセッティングとチューニングを進めてきた自分のシステム では、ジャズが上手く鳴っていないと感じることがある。これを解決できないだろうか?」というものです。それに対する私の返答を鑑みながら今回のメルマガ を書いています。

◎クラシックとジャズの違い、音楽の聴き方について。


音楽は複数のジャンルに分けられます。それぞれのジャンルでは、それぞれの「流儀」に従って音楽表現が行われます、クラシックは「茶道」のように、決めら れたルールの中でストイックに自己表現を行い、ジャズは題名を決めない討論のようにもっと大きなルールの中で自己表現を行います。方法こそ違え、どちらも 素晴らしい音楽で甲乙など付けられない、付けるべきではないと思います。時にクラシックしか聞かない、あるいはジャズしか聴かない、というオーディオファ ンに出会うことがありますがとても残念だと思います。同時にPOPSも大衆芸能と呼ばれ、一段低い音楽に見られる事が多いようですが、それも素晴らしい音 楽であることに変わりはありません。

このメルマガをご覧頂く皆様には、オーディオから「音楽を聞くことに目覚めた」方は、多くいらっしゃると思います。生演奏を聴く機会が少ない日本であれ ば、オーディオで音楽に目覚めるのは、別に不自然な事ではありません。しかし、ここに「大きな落とし穴」があります。生演奏の評価は「演奏の善し悪し」で 決まりますが、オーディオ製品の評価は「音の善し悪し」で決まる事が多いからです。

例えば「どれくらい細かい音まで聞こえたか?」あるいは「どれくらいハッキリ聞こえたか?」、「高い音が・・・」「低い音が・・・」「定位が・・・」な ど、オーディオ機器を評価するときに使われる言葉は、おおよそ音楽の評価には不向きです。生演奏を聴くときに「定位が良い」と言いますか?あるいは「あの シンバルの音が良い」と評価しますか?そのような言葉は、おおよそ生演奏の評価には、ふさわしくありません。このように演奏を表現するときのこの言葉の違 いが、最も端的に「音楽」と「オーディオ」の違いを示すのだと思います。オーディオは、「個々のパーツ(音)」を評価しますが、演奏は「全体」が評価され るからです。私たちがライブに感動したら、素直に「今日のホールは音が良い」あるいは「あのドラムスは、上手い!」と感じたり言葉にするだけです。この違 いに注目しなければなりません。

再び例え話をしましょう。素晴らしいピアノがあるとします。それを「素人」が弾きました。安物のピアノがあるとします。それを「名プレーヤー」が弾きまし た。どちらが「音楽」として聞けるでしょう?言うまでもなく、後者です。いい音は、楽器でなくても「風鈴」・「清流」・「鳥の声」など、自然界に山のよう に存在します。都会では、それらに触れる機会は少ないですが、人里離れた避暑地にでも行けば「素晴らしい自然の音楽」にふんだんに触れられます。そして 「世界最高級のオーディオ」でも、そんなに「美しい音」は、再現できません。それが、オーディオ機器の限界です。つまり、私が伝えたいのは「音の良さ」と 「音楽の良さ」には、密接な関係はないということなのです

では、その辺で鳴いている「虫の声」すら再現できないような、陳腐なオーディオ機器の価値とは?それは、「素晴らしい音楽の記録を再現できること」です。 繰り返しますが、オーディオの目的を「音」に限ってしまうなら、それは路傍の虫にすら敵いません。しかし、オーディオの目的を「音楽の再現」とするなら、 音楽の雰囲気を上手く出してくれる装置は、価格がいくらであったとしても大きな価値を持つ事になります。その価値を生み出すものは?それは「心」です。路 傍の虫の声に「心」はありません。しかし、音楽家が奏でる「演奏」には、素晴らしく熱く、暖かい「心」が満ちています。なぜ?理由は至極単純です。言葉で 言い表せない「気持ち」を伝えるために生み出されたものが「音楽」だからです。オーディオ機器が伝えるべきもの、再現すべきものは「気持ち」であって 「音」
ではありません。そして私たちがオーディオ機器から流れる音を聞いて感じるものも「音」ではなく「演奏者の気持ち(演奏の雰囲気)」でなくてはならないのです。

◎ソフトの録音と選び方について。

「オーディオの評価」が「音質」でなされることが問題だと書きました。翻って「ソフト」はどうでしょう?残念ながら、ソフトも同じ問題を抱えているように 思います。多くのソフトは、オーディオの評価に合わせるかのように「いい音」を競うように録音・ミキシングされているからです。もちろん、同じ音楽を聞く ときに好きこのんで悪い音で聴く必要はありません。いい音で聞けるなら、それに勝るものはありません。そして、それを目差してオーディオは進歩してきてい る(はず)のです。しかし、ここで問題となるのが「利益」と「過剰
なコマーシャル」です。現在、メディアに溢れるニュースからも読み取れるように、大衆は「簡単な目印」に流されてしまうからです。

それが顕著なのが「数字」です。ブルーレイの音質は素晴らしいとメーカーは説明します。ブルーレイを作ったのは、どのメーカーですか?ブルーレイに匹敵す る音質(しかも音声専用)のSACDを作ったのは、どのメーカーですか?SACDは、世の中を席巻しましたか?衰退していますか?結果は、ご存じの通りで す。SACDは、メジャーになることなく消えてゆこうとしています。それはどうしてでしょう?あれほど数字的には、スペック的には素晴らしくCDを圧倒的 に凌駕していたはずなのに、なぜCDに変わることが出来なかったのでしょう?

そ れだけではありません。これほど進歩したデジタルですら、未だにアナログと比較されるのはなぜでしょうか?白黒映画の名作とフルカラーの駄作を比較して、 どちらの映画に価値を認めますか?これらから、「美しさ」・「音の良さ」=「性能の高さ」が「必ずしも、芸術性を高めるのではない」ということが伺えま す。しかし、それは「コマーシャリズム」に逆行します。技術の進歩=芸術性の向上と短絡させ、大衆の目を欺くためには「高性能=高いスペック」がつねに 「人々に大きな恩恵をもたらす」という方程式が成り立たなければ、メーカーは商売に差し支えるのです。そして残念ながら我々は、そういう「すり替え」に簡 単に騙されます。もちろん、私も例外ではありません。車が好きな私は、まず
「パワー」や「車重」などのスペックで車を判断してしまうからです。それが間違いであるとは、うすうす気づきながらも、その数字の魔力に逆らえません。

話を戻しましょう。優秀録音盤、デジタル・リマスター盤、アナログなら重量盤と呼ばれるソフトの音が「通常版」よりも音が良くないことがあります。たま に・・・、であればよいのですが、かなりの高い確率で通常版よりも悪いことの方が多いのが困りものです。その理由は、いくつかあるのですが、最も大きな原 因は「ミキシングエンジニアが音質にこだわりすぎた」ことが原因です。個々の音の良さにこだわりすぎたあげくに「全体の調和」を乱してしまったのです。複 数の楽器でセッションを行うとき、奏者は常に「他の楽器の音」を聞きながら自分の楽器の音(音色や調子)をコントロールして「全体の調和」を乱さないよう に細心の注意を払います。討論会に例えるなら「話題を外さない」配慮を行うのと
同じです。もし、各々の奏者が人の音を聞かずに、自分勝手に演奏を始めたら?


想像してください。そんな「バラバラの演奏」聞いても全然楽しくないですよね。うるさいだけです。エンジニアが頑張って「音を良くしよう」とするのは、良 いことですが、行き過ぎると上手く混ざっていた「ハーモニーやユニゾン」をバラバラに分解し、演奏が破壊されてしまうのです。

しかし、残念ながら多くの高音質盤では、「録音段階で行き過ぎた大きな改変」が行われているために、「自然な録音でストレートに音を出すシステム」で聞い た場合、各楽器の絡みのタイミングや音量、ハーモニー、メロディーライン、リズムラインなど、音楽を成立させるために重要な、ほとんどの部分が「歪んで」 感じられるのです。なんだか様子がおかしいと感じる高音質ソフトの多くは、こんな感じに音楽が歪んでいます。高音質ソフト、優秀録音盤が上手く鳴らなかっ たとしても、それはあなたの装置が悪いのではありませんからご安心下さい。

では、音と音楽の専門家であるはずのエンジニアが、なぜそんなことに気がつかないのでしょう?それは彼らが、「売れる音」を目差すからです。例えば、ビル エバンスの名盤として名高い「Waltz for Debby」の主題曲「Waltz for Debby」には、人の声、食器の触れる音、机の上をビールのキャップかあるいはコインが転がる音、などが入っていますがこれは、明らかに「後から効果 音」として挿入されたものだと考えています。リスナーにつまらない「音楽以外の話題」を提供するあるいは、音楽の雰囲気を脚色するために、音楽を破壊する ような行為は、たとえミキシングエンジニアであったとしても許されるべきではありません。しかし、残念ながら多くのJazzの名盤が、破壊された状態で収 録されています。有名なディレクター?「ルディー・バン・ゲルダー」などは、音楽の最悪の破壊者です。それでも、彼がたたえられているのは、どうしてで しょう?彼が作ったディスクが「売れた」からです。

このようにエンジニアによって「改変」されてしまったソフトを心地よく聞く方法はないのでしょうか?残念ながらオリジナルの名演奏を復活させることは、現 時点では不可能です。しかし、若干なら緩和は出来ます。方法は?簡単です意図的に「音を悪くすればよい」のです。例えば、電源ケーブルのグレードを下げる とシステム全体の「解像度」が低下するために、個々のパーツではなく全体像が見えるように(全体像しか見えないように)音質が変化します。その結果、意図 的に改変された音楽でも少しは心地よく聞ける方向へと変化するのです。

私からは、音楽の破壊者としか見えない「ルディー・バン・ゲルダー」ですが、逆から考えると彼が想定していたのはほとんどの人が持っている「一般的な装 置」で「それらしく」聞ける方向への改変です。つまり「彼の作った音」は、高級な装置で聴くとそれは「改悪」になったとしても一般的な装置では「改善」で あったかも知れないのです。とはいえ、その程度の一般的な装置で「音楽の深さや真髄」が伝わるかどうか?は、彼の関知するところではなかったのでしょう。

も し、あなたの装置で「ルディー・バン・ゲルダー」の録音ディスクや「優秀録音盤」が上手く鳴るとすれば、クラシックの深さや複雑な美が再現されない可能性 があります。もし、そうだとすれば、ソフトに合わせた装置の「癖」のために、冒頭でお話しした「クラシックしか、あるいはジャズしか聞かない」という残念 な分裂が生み出されるのです。

ジャ ンルにかかわらず良い音楽と出会うためには「ソフトを選ぶ」ことが最も重要なポイントです。オーディオを選ぶのも大切ですが、それよりもソフトを選ぶ方が もっと重要です。多くの良いソフトを所有することが出来れば、オーディオの音決めで迷うこともずっと少なくなるでしょう。私なりの「良いソフト」の選び方 を簡単にご紹介しましょう。まず、XRCDや鳴り物入りで発売された「高音質ソフト」を最初に買わないこと。理由は、それらが正しく録音されていないこと が多いからです。それらのソフトに手を出すのは、もっといろいろなことがわかってからの方が良いと思います。

ク ラシックも例外ではありませんが、まずモノラルのソフトを買うことです。モノラル時代は複雑な編集機が存在しなかったために、収録された音楽はほとんど改 変が行われていません。また、モノラルの時代には素晴らしいプレーヤーが今より多く居たために、音楽の真髄を確実に味わえます。ジャズの場合、レーベルは 「ヴァーブ」・「パブロ」などを選んでおくとあまりハズレがありません。特に「ヴァーブ」は、古くて良い音源を沢山所有しているので、このレーベルから収 拾すると良いと思います。新しい時代のジャズやクラシックも、最初は避けた方が良いでしょう。

私がジャズのソフトを集めた方法は、次のようなものです。まずダイジェスト盤を買う。その中で好きなプレーヤーを見つけて、そのプレーヤーのソフトを購入 します。ビルエバンスが気に入ったなら、それを何枚か購入します。良く聞いて、そのなかで「このドラムは良い」あるいは、「このベースは上手い!」と感じ たプレーヤーの名前を調べます。次に彼らが参加しているジャズのアルバムを購入します。その中で・・・。を繰り返すと大きく外れることなく、芋づる式に良 いソフトに出会えます。逆に、なにか「不自然」と感じるソフトがあれば、ミキシングエンジニアやレーベルを調べ、それを今後は買わない、ということでハズ レのソフトを遠ざけられます。

そ んな方法があったのか!驚かれることはありません。映画のソフトを買うときにはどうしますか?役者で選びますか?監督で選びますか?それとも映画会社で? クラシックのソフトは、楽団で選んだり指揮者で選んだり、奏者で選びますが、映画ソフトと音楽ソフトを選ぶ方法に大きな違いはありません。好みを見つけ、 それを頼りに選んでゆけばよいのです。雑誌広告があまり当てにならないのは、どちらも同じです。特に「売れているから」という理由は、ソフト選びの根拠に はなりません。


このメルマガを書いている内に午後2時になりました。外はますます暑く、体を動かすのも出かけるのも億劫になります。こんな時インターネットは、大変便利 です。居ながらにして、瞬時に様々な情報が得られるからです。インターネット嫌いの私ですが、ビジネスや情報収集にインターネットが欠かせないのも事実で す。自分のフィルターを磨いて有効な情報を濾しとることが出来れば、インターネットは素晴らしい世界を開いてくれます。ソフトを探すにも、時間と手間を省 くならインターネットは、すごく便利です。でも、現場には「思わぬ出会い」があります。現実世界での人との出会いが、自分自身の人生を大きく変える切っ掛 けになることが多いのです。メールから始まったお付き合いでも、実際に合うことでさらにその絆が深まるように、メディアで得られた情報は「自分自身で実際 に確認する」まで、すがりつくことなく「参考程度」に留めておくのが安全です。

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