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悲しいニュースです。すでにご存じだと思いますが、日本のロックシンガー「忌野清志郎さん」が逝去されました。私は彼の大ファンでした。ライブにはあまり行く習慣がないのですが、彼は生でたった一度見たことがあります。
それは、1999年9月24日、東京の六本木のライブハウス、スイートベイジル139で行われた「井上陽水シークレットライブ」に忌野清志郎さんがゲストとして参加した時です。その模様は、同年「12月10日にNHK
BS2」で「12月26日 NHK
総合」で「井上陽水シークレットライブ日本で一番、憂鬱でハッピーな一日」として放送されましたから、ご存じの方もいらっしゃると思います。とにかく、私は縁があってこの「関係者だけのライブ」に参加することができました。
ステージ近くの2階席からこのコンサートを見ました。座席からステージまでの距離は、僅か10m程度しかなく「肉声」が聞こえてきそうな気がしたほどです。NHK番組の題名通り、どこか「憂鬱」そうな井上陽水さんと比べ、まるで雲一つない青空に燦々と輝く太陽のように明るくパワフルな「忌野清志郎さん」は、対照的なコントラストを放っていました。
ミュージシャンとしての存在感、オーラの大きさはすさまじく、彼がホラ貝を「ボー、ボー」と吹きながら登場し、「陽水君、君はいつも暗いな〜、コンサートはこうやって盛り上げるんだよ」なんて良いながら、いきなり会場に向かって「イェイッ!て言え〜」と叫ぶと、会場はあっという間に大盛り上がりで一瞬で清志郎色に染まったことを忘れられません。
彼のミュージシャンとして、そして一人の人間としてのスタイルにも私は、尊敬の念を感じます。「言いたいことを言う」それがロックシンガーとしての彼の変わらなかったスタイルです。それを貫くがあまり「放送禁止」や「CD発売禁止」などの措置を受けたことも周知ですが、それでも彼は「反体制ロックシンガー」のスタイルを変えませんでした。そのストレスが、彼の命を削ったのかも知れませんが、文字通り「歌に命をかけた一人の男の生き様」には、同じ男として憧れさえ感じます。
虫の知らせではありませんが、最近私の主張する「音源はCDだけじゃない」をお伝えするために音楽DVDビデオを買い集めていた一週間ほど前に、奇しくもRCサクセッションの「ミラクル」と「忌野清志郎/完全復活祭」を買ったばかりでした。ミラクルは1990年、完全復活祭は2008年の収録です。さすがに映像で忌野清志郎さんや登場メンバーを見ていると、18年の歳月を感じますが「音」だけを聞いていると、1990年のライブよりも完全復活祭の方が明らかに完成度が高く、音も良いし、何よりも音楽としての味わいが一段と深くなっているように感じました。忌野清志郎さんを知らなかった人にも是非お聞き頂きたい、「愛」が溢れる素敵な一枚だと思います。
私が彼から受け取ったメッセージは「愛」です。彼の叫ぶ「愛し合っているかい!」には、男女の愛、友情などを総括した大きな「人類愛」への想いが込められています。「人類はみんな家族のように愛し合って生きるべきだ」。それが彼からのメッセージのように思えます。原発を批判したり、利己主義の政治家や体制を批判したり、それを隠れることなく堂々と繰り広げた彼の「愛」の大きさ。それと比べると「人の揚げ足」や「人の弱点」ばかり突いて愉快がっている、今のマスコミやネットの匿名掲示板の「矮小さ」には、あきれるばかりです。一部の「映像」や「文字」を切り取って、自分勝手に何かを断定しそれを暴走させて攻撃する。そんな場所に「愛」は、欠片さえも感じ取れません。自分の言いたいことを人前で堂々と言ってのけた、彼の大きな勇気に賛辞を送りたいと思います。
話は変わりますが、「満員電車」で近くの人を「疎ましい」と思ったことはありませんか?そんな経験は誰にでもあるはずです。少し冷静に考えれば、自分だって他人から見れば「疎ましく思われる時がある」と分かるはずです。そんな時に大切なのは、心の中にストレスをため込んで爆発させることではなく、積極的にコミュニケーションすることです。
人が集まる場所では堂々と意見を交わし、我が儘な自分を抑え、お互いに少しずつ我慢して、それを感謝し合って、小さな愛が育まれて・・・、争いがなくなって笑顔が溢れる。そんな世界を清志郎さんは、訴えたかったのだと思います。
人と人が平和に過ごすには、ある程度の「距離感」は必要ですが、現代では人が増えすぎてその距離感が失われています。そんな人のストレスに疲弊したとき、音楽は絶妙な距離感で私の心に触れてきます。言葉だけでは距離が近すぎて、音だけでは距離が遠すぎる。「歌」はちょうど良い距離感を保ちながら、心に触れてきます。音より遥かに強いメッセージ性を持ちながら、演説のようにうるさいわけではありません。時として言葉として聞き入り、時として旋律として聞き流せる。「歌」と「人」の距離感はちょうど良い具合です。
私は清志郎さんの「歌」が大好きです。綺麗で心地よい言葉で飾られた耳当たりが良くても、次の日には忘れているような歌が多い中で、確かに彼の放つ魂の叫びは強烈で、お客様の前ではそれを聞くのが憚られることすらあります。でも、彼が発する言葉の「毒」は、やがて時間によって浄化され、後には「愛」だけが心に深く刻まれます。忘れられない歌。忘れられないメッセージ。忌野清志郎さんは、根っからのロックシンガーでした。
「愛」は与えるだけのものでも、受け取るだけのものでもありません。それは「共有」するもの。もう二度と生では聞けないけど、弾けるリズムと独特の調子の歌と共に「みんな愛し合ってるかい!」彼のメッセージは、永遠に生き続けます。オーディオがこの世にある限り!