最近疲れが抜けなくて、何となく“ダルい”と感じる日があります。昨日がそうだったのですが、今日は快調です。この日による感覚の違いは、自分だけの物かな?と思っていたのですが、どうもそうではないようです。晴れであれば元気、雨なら不機嫌、そんな単純なことでもなく、気圧が上がれば元気!、下がれば不調のように気圧の変化も関係しているのかな?と感じることがあります。
そういう何となく“ダルい”時、私が最初にするのは「食べること」です。加齢と共に脂肪が付きやすくなり、食事制限を行わなければ体重は際限なく増加するのでやむなく食事制限(昔は食べたいだけ食べても太らなかった)を行うのですが、お腹が減っていると元気が出ません。元気がないのが「空腹」のせいだと、甘いものを食べたり軽い食事を取るだけであっという間に元気が回復することがあります。これが一番簡単な、気分転換の方法です。
“ダルさ”が気分から来ているときは、「良い音で元気の出る音楽を聞くこと」が回復を早めます。しかし、毎日好きな音だけを聞けばいいのですが、様々な機器のテストをしなければならないので、否応なしに好きじゃない音を聞き続けなければならないことがあります。嫌いな音を聞き続けていると、どんどん元気がなくなります。それはかなり辛いです。私を疲れさせる音は「不自然な音」です。不自然な音とは、肉体的に違和感を覚える音ですが、それを映像に例えて説明しましょう。
DVDで映画を観ている時や、デジタル放送を見ているとき「声の出方と口の動きのズレ」に「不自然さ」を感じることがあります。それは、現実の世界では音声よりも映像が遅れることがないからです。光の速度は音よりも速いからです。対象が離れると、映像は光の速度(ほぼリアルタイム)で届くのに対し、音声は340mを進むのに約1秒かかりますから、340m離れた所の音は映像よりも1秒遅れます。これから雷のシーズンに入りますが、稲光を観てから雷鳴を聞くまでの時間(秒)に340mを掛けると、雷が落ちている場所までの距離が分かります。
アナログ放送では「音声と映像」は、同等に処理されていたため「声と口の動き」にずれが生じることはありませんでした。しかし、デジタル放送では音声と映像が異なりプロセスで処理されます。データー量の多い映像処理は、音声処理よりも時間がかかるため、音声よりも映像が遅れてしまいます。この現象は、現実的ではないため、人間は無意識に「不自然」だと感じるのです。
楽器演奏(ライブ映像)では、「音と映像のズレの不自然さ」より顕著に感じられます。ドラムをスティックが打つ前にドラムが鳴り、ギターをつま弾く前にギターの音が聞こえるのです。デジタル放送やDVD、ブルーレイで起きる“映像が遅れるズレ“は、「自然では絶対にあり得ない」ので強い違和感を覚えるのです。違和感を感じる状態で映像を見続けると、知らない間に脳が疲れてしまいます。
ステレオで音楽を聞く場合は、映像がないのでちょっと様子は違いますが「不自然さ」を感じる理屈は同じです。少し難しいですが、楽器から出た音が空気中を伝わって耳に届くまでの「音の変化」は、100%物理法則に従います。高音は低音よりも早く減衰し、距離が離れれば「高い音」が聞こえにくくなります。雷鳴が近いと「バリバリ」と聞こえ、遠いと「ゴロゴロ」と聞こえるのは、空気が高音を低音より早く吸収するためです。
楽器から音が発生するときも、「音の発生の仕方」は100%物理法則に従います。ドラムを叩くと、まずドラムのスキンにスティック(気の棒)が当たった「バシンという衝撃音」が発生します。続いて、スキンが往復運動して発生する「ド〜ンという低い音」が耳に届くのです。このように、あらゆるアコースティック楽器から音が出るときは、音の出方は物体の物理的な法則に従い、それと逆行するような出方や、時間の流れが乱れるような出方(バシンからド〜ン音が変化する時間軸の流れ方は変わらない)は、絶対にしません。
しかし、マイクで電気信号に変換された音が、回路を通りスピーカーによって再び空気の動きに再変換される時には、「物理的にあり得ない音の変化」が起きることがあります。デジタル放送のように音の出方が逆になるほどではありませんが、ドラムのバシン〜ドーンへの音の流れが乱れたり、遠くの音が妙にハッキリと聞こえたり(距離に応じて高音が減衰しない)することがあります。そのような不自然変化に対し、人は無意識に強い違和感を持ちます。そういう違和感を感じる音を聞き続けるのは、度の合わないメガネを掛けた時と同じように神経を消耗させます。長時間されされていると、確実に元気
が奪われます。
しかし、オーディオの高級品には技術的に凝った複雑な回路が使われる物が多く、特に人間の聴感とはまったく一致しない「オーディオ的に使われる音響データー(周波数特性や歪み率など)」だけを重視し、ヒヤリングをおろそかにした開発が行われた機器の多くが、そういう「不自然な音」を発生しています。困ったことにそう言う「不自然な音」をオーディオマニアが好む傾向が強く、「このツィーターは良い音がする!」とか「このアンプで聞くシンバルがすごい!」などの誤った評価を広めています。本当に自然な音とは「どこから、音が出てくるのかも分からない」、「どんな装置が鳴っているのかも分からない」、そういう「違和感のまったくないスムースな音」なのです。機器が消えて、音楽だけが聞こえてくる。そう言う装置、そう言う音を私は好み、目差しています。
話は変わりますが、AIRBOWが高額機器をベースとして用いないのは、販売価格が高くなると同時に「自然な音に仕上げにくい(部品が多くなればなるほど、電気的な違和感が強くなりやすい)」という理由もあるのです。逸品館に入社した新入社員は、大体数ヶ月勤務しているとそれまでは何も感じなかった、家電量販店で流れている音や街に溢れる電子音が「耳についてうるさく」感じられるようになるようです。それは、逸品館の社内で流れている自然な音を聞き続けたことで、人間の生まれながらの感覚が呼び覚まされ「不自然さに対し敏感」になるからです。
世の中には不自然な音がいっぱいです。特に高級なオーディオ製品や多機能のホームシアター製品の中でどれくらいの製品が「自然な音」を出しているか?考えると怖くなります。そういう不自然な音や映像を流す装置が、コマーシャルの力で売れているのを見るのはとても残念です。
人工的に発生した不自然な音に曝され続けている間に、感覚は麻痺します。麻痺した感覚で「音や音楽」を聞いても、本当の意味での「良否」は分かりません。「自然な音」・「自然な映像」で音楽や映画を観て聞いて頂ければ、同じ作品が全く違ったものに感じられるはずです。アニメや電子楽器を使わない時代の古い作品の中にも(私はそう言う作品の中にこそ素晴らしい物が多いと思いますが)感動を見いだせる良い音楽は確実にあります。しかし、入念に作り込まれた繊細で深みのある作品音楽であればあるほど、ちょっとした不自然さでその感動が失われがちです。
ハイエンドショウトウキョウで「おくりびとのDVD」をデモンストレーションに使いましたが、この作品もそういう繊細さを持っています。大画面はともかく、TVのスピーカーや質の悪い音しか出せない多くの日本製のAV製品でこのソフトを見られても「ただの茶番劇」に捉えられてしまうかも知れません。私も、映画館で先に「おくりびと」を見ていなければ、つまらない映画だと切り捨てたに違いありません。「おくりびと」に収録されている音声を是非一度、本格的な音質でお聞き頂ければと思います。
映画や音楽ソフトから、すばらしい感動を引き出すために必要なのは、情報の細かさではなく「自然さ」です。実写映画(とくにフィルム素材、モノクロもOK)やアコースティック音楽(民族音楽が最も繊細)の感動の深さは、アニメや電子楽器による表現を遥かに超えています。逸品館がお薦めしたい、お客様に触れて欲しい「感動」は、時を経ても変わることがない普遍性を持つ、味わい深いものであって欲しいと願います。長く付き合いたい機器、本当に良い製品を買いたい!とお考えなら、是非一度逸品館にお立ち寄り下さいませ。
ハイエンドショウトウキョウ2009春のご来場者様対象アンケートの「最も興味深かった出展社」の項目で逸品館が、「3回連続トップ」の栄誉に輝きました。2008春と同じく、2位は「オーディオアクセサリー(音源出版)」のブースでした。皆様の厚いご支援、心から感謝いたします。
ハイエンドショウトウキョウ2009春の様子は、こちらから「YOU
TUBE」の動画でご覧いただけます。