今年は梅雨が長引いています。長い地球の一生、宇宙の時間から比べると一年なんて、本当に一瞬のことですが、その一瞬のさらに小さい季節の出来事に、私たちは一喜一憂して生きています。
今朝、私にとって悲しいニュースが届きました。昔の同僚が心筋梗塞でなくなったという知らせです。彼は私よりも少し若いので、40代後半だろうと思います。夜中に発作を起こし救急車で病院に着いた時には、手遅れだったそうです。今までも私はメルマガで、人生の価値観めいたことを何度か書いています。そんな時は、何か刺激を受けて心底そう思っているのですが、平穏な日々が続くとそれが薄れてしまいます。今日のメルマガは、知人の死に感じることがあって書いています。
訃報が寄せられた彼とは、河岸の競り市のような一瞬で勝負が決まる仕事を仕事をしていました。競りの対象は魚ではなく、呉服であったり、貴金属であったり、時には家電やオーディオ製品でした。そこで商品を競り落とし、それを転売して利益を得るのです。すでに20才後半にして私は、その業種のほぼ頂点が見える位置にまで上り詰めました。しかし、そこから見える景色は決して美しいものではなく、敗者は勝者に媚び、勝者はつねに負けることを許されません。血こそ流れませんが、戦争となんら変わらない争いに嫌気が差し、戦いに生き甲斐を見いだせなくなった私は、何かもっと素晴らしい仕事はないかと考えオーディオ販売にたどり着きました。
販売する商品の金額にかかわらず、お客様に心からの喜びを感じて頂ける業種。逸品館では、自分が今何をしているのか?お客様のために、今何をすべきなのか?それが明確に感じられます。しかし、どんなに素晴らしい意見でも、力がなければ実を結ばないのも厳しい現実です。経済社会の中で自分の主張を貫き通すためには、取引額が大きくなければなりません。自分がコントロールできる規模の組織でそれなりの影響力をもてる業種。オーディオという職種は、私の希望にピッタリでした。
そんな経緯で20年少し前にゼロからスタートした逸品館は、現在西日本でNo1.の売上規模にまで成長しました。今年のハイエンドショウトウキョウ2009春アンケートの「最も興味深い出展社」では、昨年の2連覇に続き、3連覇を達成しました。お客様のお力添えのおかげで、逸品館はNo1に手が届くところまで成長しました。しかし、私が逸品館設立当初から目差しているのは、「No1」ではなく、「オンリーワン」です。
生来が負けず嫌いの私は、人に負けるのが何よりも嫌いです。しかし、No1を争う無意味さは、競り市の世界で身にしみるほど感じています。どんなに大きくなっても、上には上がいます。自分よりも上があると知った瞬間に、現在の自分の価値や満足感はゼロになります。富士山が一番高い山だと思い、それを征服して有頂天になっていたら、それよりもずっと高いエベレストがあると知ったときの気分です。元気があれば、その喪失感・絶望感をパワーに転換することも出来るでしょう。しかし、人間の寿命は限られていて、ピークを迎えた後は、必ず下降します。高い山を征服すれば征服するほど、それより高い山を見つけて登って行かなければならない。決して満足することなどなく、登り続けなければならないのが「No1」を目差す生き方です。日本人やアジア人は、なぜこれほどまでに強く「No1」を目差すのでしょう?登り切ることが出来ない道を、命尽きるまで登
り続けようとするのでしょう?
私自身、そういう生き方をしてしまうタイプなので、それを否定することは出来ませんが、すこし価値観を組み替えれば、違った道が見えてきます。それが「オンリーワンを目差す道」です。残念ながら、No1に最大の価値を求める経済(一部の富裕層)に牛耳られる現実社会の中では、オンリーワンを貫くことは時として脱落を意味します。人に負け犬と呼ばれても、オンリーワンを貫き通す強い心が持てればよいのですが、その強さは私にはありません。でも、現実のストレスを発散するための「趣味の世界」では、オンリーワンこそ価値観そのものです。
オーディオやシアター製品を選ぶとき「価格」で製品を選んではいらっしゃらないでしょうか?No1に最大の価値を求める世界に染まりすぎると「価格=性能=満足感」だと誤解することも多いのですが、価格と満足度は一致するものではありませんし、本来趣味の世界ではそれが一致してはならないのです。同じ製品を使っても工夫次第で「より良い音」、「より良い映像」、「より深い感動」を取り出せます。それが「オンリーワン」と言う価値観です。人と比べる必要など何もありません。何が一番売れているかとか?何が一番高額製品だとか?どこのお店が一番安いとか?そういう「背比べ」は、一切無意味です。逆に、そういう「背比べ」を否定することこそ、夜深い趣味の味わい方だと思うのは、私がひねくれているからでしょうか?逸品館は、そういう趣味のあり方を応援します。価格と
は無関係に価値を見いだす。それは利益追求の企業としては間違った方向かも知れません。しかし、利益を追求するためなら私はこの業種を選びはしませんでした。
「魚釣り」は、私の趣味の一つですが、私は「釣り上げた魚の数や大きさ」ではなく、「どのようにして釣り上げたか?」あるいは「人と違う方法で釣り上げたか?」に、より大きな喜びを感じます。「レース」も私の趣味の一つです。スプリントレースは、単純にNo1を競うシンプルな競技ですが耐久レースは違います。そこにはNo1としてだけではなく、完走というより大きな価値観が見いだせます。あなたにとっての人生は「スプリントレース」でしょうか?あるいは「耐久レース」でしょうか?あなたにとっての趣味の価値観も「No1」でしょうか?それとも「オンリーワン」でしょうか?
話題を変えます。冒頭に書いたように今年は梅雨明けが遅い上に、景気の停滞もあってカラッとした気分になれる日々が少ないように思います。踏ん張っても、踏ん張っても、寂しさを感じ、頑張っても、頑張っても、いい知れない虚無感に襲われる。そんな気分に落ち込んではいませんか?
そんな時の気分転換には、音楽や映画が最適です。1時間とか2時間とか、そんな長い時間ではなく、短ければ数分か長くても数十分で訪れる特別な瞬間。旋律やストーリーに「ジーンときた」一瞬の感動が心の暗雲を吹き飛ばし、それまでの気分が一体何だったのかな?と思えるくらい気分が晴れやかになります。自分が一人ではないと実感した瞬間に心はエネルギーを取り戻し、人生は再び輝き始めます。それはまるで、天から振ってきたように突然訪れる「特別な感動」。心を動かし人生を輝かせる「特別な感動」。その素晴らしさを一人でも多くの人達と分かち合うため、音楽と映画は生まれました。
そんな素晴らしい作品に触れるためのAV機器は、当然他の家電製品にはない素晴らしい力を秘めています。より美しい映像、より良い音で音楽や映画に触れれば、感動は深まります。鮮やかな色彩の音と映像。美しい響きの音と奥行きのある映像。それらが見事にマッチしたとき、装置の存在は消えてしまいます。ライブ会場にいるような、映像の中に飛び込んでしまったかのような錯覚を覚えられるシステム。逸品館のような専門店を訪れるのは、そんなシステムに憧れるからではありませんか?
しかし、雑誌やマニアの噂に頼ってもそんなシステムにはたどり着きません。彼らが求めている、目差しているのは「No1」だからです。価格やスペック、音質や画質を競い合うことは、まったく意味を持ちません。重要なのは「何を出せるか?」であって「どれだけ出せるか?」ではないからです。例えば、シンフォニーを奏でるとき、伴奏者は「他の奏者と競合せず、音が混じり合うように」楽曲を奏でます。ハッキリと聞こえて良いのは、コンサートマスターのバイオリンのように主旋律を奏でるパートです。ポートレートの撮影でも、ピントは人物に合わせ、バックはあえてぼかします。すべての音がハッキリ聞こえる、すべての映像がハッキリ見える、必要はありません。求められるのは、主役と脇役に応じた「正しいコントラストとグラデーションの再現」でそれらの絶対値ではないのです。
しかし、残念ながら市販の装置の「デフォルト(工場出荷値)」の状態は、バランスが完全ではありません。一瞬の感動を深めるために、感動の瞬間を増やすために、機器の力を最大に発揮させための「微調整」はとても大切です。そして自らの力でそれが実現したときの喜びは、音楽や映画の感動にも増して格別なものです。逸品館のHPには、そんな素晴らしい情報が山積しています。手がかりが見あたらない、手がかりを見失ったときには?お気軽にお問い合わせくださいませ。逸品館スタッフが出来る限りのお力添えをさせて頂きます。
気候と同じで人生には、晴れた日も雨の日もあります。一番大事なのは、納得した日々の記憶をより多く持つことだと思います。人生が幸せな記憶の多さを競うレースなら、私は喜んでそのレースに参加してみたいと思うのです。 |