オーディオ巡礼〜人生至高のシステムのために
ステレオサウンド178号に掲載された五味康祐さんの著書「オーディオ巡礼」に触れた記事を読んで胸が騒いだ。一心不乱、命に掛けて、時にそういう言葉さえ安っぽく感じられるほどの情熱を傾けてオーディオと音楽に一生を捧げた人、五味康祐さんを知ったのは彼が占い師としてテレビに出ている頃だった。浮浪者のように和服を着崩し、無精ひげにぼさぼさの髪。ピントが合っているような、あっていないような過激なコメントを繰り返す様。TVに映るその姿は、頭のいかれた変な親父でしかなかった。しかし彼の没後、随分たって彼が記したオーディオ関連の著書み、始めて彼の人となりに触れて心が震えた。
日本人は世界一求道的な人種だと思う。茶道、書道、華道は代表例に過ぎない。私たちは一見下らないと思える日常の行為にさえ「道」を名付けて憚らない特殊な人種だ。それは、単一民族故の偏ったものの見方が高じたものかも知れないし、並外れた知的好奇心の強さ故かも知れない。日本人、特に男性は凝り性が多く、道を極めるために私たちは時として命さえ賭しかねない。
私が「オーディオ販売」を職業に選んだのは、生まれつきの凝り性が生かせるからだが、お客様に大きな喜びをもたらせる職業であるというのがそれよりも大きな理由だ。私は大阪の商家に生まれ小さな頃から生の商売を見て育ったが、大阪商人の基本的な考え方は「共存」あるいは「共栄」だと教えられた。今主流となりつつあるシステマティックにより安くものを売るような商売は、絶対に長続きしないと教えられた。栄華と衰退を極めたダイエーが良い例だが、形のあるもの定価があるものを「よそ様」より安く売る商売には必ず終わりがやってくる。それはマルチ商法と同じ原理だ。商売の基本はあくまでも「持ちつ持たれつ」、助け合いの精神ではなだろうか?助け合い(共存・共栄)を忘れて暴走を続ける今の日本の衰退がその誤りを示している。お金、データー、目に見えるものは所詮「浅い」ものでしかない。大切なのは「目に見えない価値」を知り、そこから謙
虚に学ぶことだ。幸せはお金では買えない。
話を戻そう。五味康祐氏が終戦でうちひしがれ感じた、信じるものに裏切られる空虚な気持ち。自分が信じた未来が音を立てて崩れて行く、どうしようもない空虚な気持ち。戦争は経験していないが、その「喪失感」は私も感じたことがある。そして胸のその隙間を「音(音楽)」で埋めようとした気持ちにも共感を覚える。例えようのない絶望感、人生においてこの絶望を経験したことがなければ、芸術の深さは分からないとさえ思うことがある。人はどん底に落ち、始めて目が開き、思いやりを知るのだろう。
今のオーディオ雑誌やオーディオ製品にこの「喪失感」を埋めるに相応しい記事や製品はあるか?絶望的な「乾き」を癒し、音楽を至高の芸術として再現してくれる装置はあるか?振り返ったとき、昔よりあらゆるものが「薄くなっている」と感じる。しかし他方、恐るべき技術の進歩が今までになかった価値をオーディオに生み出している。今のデジタルサンドは凄い。最新最良のデジタルサウンドを聞くことができたら、五味康祐氏はどのように評価するだろうか?素晴らしいと褒めてくれるだろうか?それとも、つまらないこけおどしと言われるだろうか?
五味康祐氏の考えと沿わない事が一つある。それは「高いもの」、「珍しいもの」を、私は無条件に良しとしないことだ。オーディオの音楽性は、価格では推し量れないと感じている。ましてや希少性とは何の関連もない。リスナーの求めに応じられる音で音楽を鳴らせるか?それがオーディオのすべてである。薄っぺらな専門店が多すぎる。音楽を知らないアドバイザーが多すぎる。本物の「乾き」を知らない人間が多すぎる。あなたがもし「人生で巡り会うべきオーディオ」をお探しなら、私が全力でお手伝いしたいと思う。想像以上の音楽性が、あなたの人生を満たすに違いない。
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