逸品館メルマガ バックナンバー 208

約1年前に中古でBMW 135iを購入したお話をしました。このBMWが始めて所有した外車ですが、一年ほど乗り続けてやっと外車のなんたるかが少しずつ分かってきたように思います。


外車に乗って強く感じたのが「交通社会のヒエラルキー(階級)」です。私が購入した135iはBMWで最もスポーティー(早い)モデルの一つで、早さだけなら相当格上の車にも負けません(勝つ意味もないのですが)。しかし、最も小型なモデルなので車体の大きい上級モデル3シリーズの横に並ぶと、どうしても貧弱に見えてしまいます。この3シリーズも上級モデルの5シリーズに並ぶと、5シリーズは7シリーズに並ぶと、数字が大きく高額なモデルよりも「見劣りする」ようにデザインされています。BMWだけではなくベンツやアウディなども同じで、このヒエラルキーの存在はドイツ車や各国の高級車全般に共通する傾向に思います。もちろん安いモデルがあからさまに見劣りすると売れませんから、言い換えればより上級の車(上級モデル)がより良く見えるように(欲しくなるように)作られているのでしょう。

私たちの社会、資本主義社会には好む好まないに関わらず外観による差別や区別が敢然と存在します。というよりは、我々の資本主義経済はそういう「差別や区別(ヒエラルキー)」による経済効果で成り立っているのです。私自身は、そういうヒエラルキーの外にいたいタイプですし、意識的に今までそういうものにあまり近づいてきませんでした。しかし、車に関しては以前乗っていたCIVICからBMWに乗り換えたことで、ウインカーを出しても入れてもらえない、やたらクラクションを鳴らされる、挙げ句の果てには当たり屋に当たられる(ほとんど停止状態だったので事なきを得ましたが)などの「交通弱者」扱いが少なくなりました。最近、自転車や歩行者などがかなり横柄になり、また横着な運転手が多くなって車の運転に危険を感じていましたから、外車に乗ることで「それが少なくなり」乗り換えは思い通りの効果を上げています。

若い頃は抵抗していましたが、この年になるとある程度のヒエラルキー(階層)は商品構成(社会構造)として必要に感じます。車の場合は、「大きい」、「パワーがある」、「かっこいい」という定義で差別化されます。オーディオの場合も「高い」、「カタログスペックが優れている」、「外観がきれい」などで差別化されています。しかし、最近の製品は車もオーディオもデーター至上主義の歪みであまりにも高級の定義を「数字に頼りすぎる」ように思えるのです。車では今盛んに最大出力(馬力競争)が行われています。最大馬力は500馬力はおろか、ブガッティーではに1000馬力という途方もない水準に達し、路上では危険すぎて“絶対に!”最大出力は発揮できません。オーディオも同じで、DAC(DSP)が24bitから32bitになったと聞くと、いかにも性能が良くなったように思いますが、現実的にあなたがお使いのオーディオ機器はどれほど超高性能な製品でも24bitを再現するのが精一杯で、よほど超高性能なアンプを使わない限り32bitの1bitの精度を音に変換することはできません。

カタログスペックやデーターでの差別化はわかりやすい反面、信頼できませんし無意味なものが多く注意が必要です。せっかく手に入れた車や製品がたちどころに陳腐化して、上位モデルが欲しくなるようでも困ります。個性が際立ち、納得してお使いいただける製品。長く安心してお使いいただける製品。高級品の良さは、それなりの期間使ってみて始めてわかるものです。そういう値打ちある製品をお使いいただきたいと思います。作り手から使い手への心の橋渡し。作り手の真心を感じられる製品は、あなたの人生をより豊かにしてくれるはずですから。

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