毎日毎日狭い範囲の中で同じ繰り返しを続けていると、知らない間に大切なものを見つけられなくなってしまいます。寒さを感じると外に出るのがおっくうになりますが、趣味であったり旅行であったり、自分の世界を外側からみられる時間を持つことは大切だと思います。
ここ数年は、業務拡張に伴い近隣のアジア諸国を訪れる機会が増えています。一歩外に出て日本を見ると、今まで気付かなかったことが見えてきます。日本が安全で清潔なこと。人々が比較的穏やかなこと。しかし、元気と活気の溢れる諸外国と比べ日本には元気が感じられません。今の日本は戦後復興という成長期〜安定期を終え、まるで老年期にさしかかっているようにすら感じます。
近隣のアジア各国がそうであるように、高度成長期には「成長という思い」が日本中に溢れていました。敗戦の反動もあって、その思いはとてつもなく強いものだったはずです。当時の日本は「国家復興」あるいは「毎日の暮らしをよりよくしたい」、「収入をもっと増やしたい」という思いが全国民に共通していたからこそ、世界が奇蹟と呼ぶ急速な経済の発展をなし得られたのでしょう。
その成功を目の当たりにして、モチベーションを高めている近隣国家に比べて今の日本にその勢いや力は感じられません。ある程度の富や安定した生活に慣れて怠惰な時間を送っているようにさえ見えます。もし国民代表の思いが残りの寿命を平凡に全うしたい、あるいは自分の財産を子孫に残したい、そんな我欲を満たす自己中心的なものであれば、日本の将来を憂わねばならないでしょう。
話を見えやすくするため「国家」をチームに例えて考えましょう。例えば「高校野球」。全国の頂点を目指す原動力は、選手一人一人の「頂点を目指したいという思い」が何より大切です。スポーツは、勝とうという気持ちが強ければ強いほどモチベーションが高まります。モチベーションを高めるためには、まず「勝とう=前に進もう」という気持ちが大切です。
次にそれを支えるための「支援」が欠かせません。試合でプレーするのは「選ばれた9人」だけですが、彼らを支えるためにより多くの人たちの努力が必要になります。選ばれた選手は、自分たちを支えてくれる人たちへの感謝を欠かしてはなりません。彼らからの感謝と彼らの汗が、支援者の「納得」を充実させるからです。後方支援がしっかりしているほど、チームの力は強くなります。
「日本」というチームを振り返れば、呆れるほど多くの問題や間違いが蔓延っていることに気付きます。最悪なのは「手段を選ばずに金を儲けた人が勝ち」という、拝金主義的な幼稚で安易な考えが強くなってしまったことです。「勝つ=お金を儲ける」ということの重要性は、25年間逸品館を続けている私は人一倍よくわかっています。収入がなければ、たちどころに生活に困るからです。
しかし、余裕ができたから、試合に勝ったからと言って選手が努力を怠ればどういう結果になるでしょう。選手が汗をかかなければ、後方支援者の「納得」が得られません。後方支援がなければ、勝ち続ける(継続する)ことはできないのです。「勝てば官軍」という考え方は間違っています。みんなが「納得できる勝ち方」で勝ってこそ、次が見えてくるのです。重要なのは「思い」の強さと「納得」の充実です。プロ野球界での巨人のルール破りを朝日新聞がすっぱ抜きましたが、同時にこのようなやり方では、ファンの納得が得られないと主張しています。このスクープはただ単に、読売新聞と朝日新聞の確執が表面化しただけかも知れませんが、行き過ぎた競争社会の自浄作用が働き始めたと信じたいと思います。
弱くなっている日本人の絆を再び強めるためには、「報道」や「教育」が特に重要です。橋下市長が「国歌斉唱時に起立しない教員を処罰する」方針を持っていますが、国家再建を考えるのであれば、当然だと思います。確かに日本では国家を唱えることが「偶像崇拝」として利用された不幸な過去があり、素直に国歌斉唱を受け入れられないという理由はあるでしょう。しかし、時々に国を省みるという「思い」を共有する場は必要です。オリンピックでも勝利をたたえ国歌を斉唱します。
自分の国と文化に誇りを感じ、国を愛するという思いがなければ国家は成立しません。それを愛国心というと少しきな臭ですし、国歌斉唱制勝の是非はともかくとしても、教育の現場で「国への思い」を伝えることは、何よりも重要だと思います。自分たちの今が「支援者(それを支えるために命を捧げた人たち)の国への強い思い(すなわち愛国心)」の上に成り立っているという感謝を忘れた国に未来はありません。
足下を振り返れば、東北大震災の復興はまったく思うように進んでいません。まず、瓦礫の受け入れ先が決まらなければ再建ができない状況なのに、瓦礫の受け入れを拒否する地域が多すぎるように思います。お金を拠出するだけではなく、汗をかかなければ「思い」は共有できません。思いが共有できなければ、絆は生まれません。同じ痛みを分かつべき民として、私は忸怩たる思いです。極東のこんな小さな島国で個人個人の権利だけを主張しても、どれだけの利益がもたらされるというのでしょうか。本当に心が痛みます。
我欲の強さだけではなく、今の日本に一番足りないのが「明るい未来を見る思い」だと私は感じます。「一番不幸なことは、不幸な未来を想像することだ」と何処かで聞きました。誰の言葉か忘れてしまいネットで調べたのですが、上手く見つかりませんでした。しかし、まったくその通りだと思います。不幸なニュース、不安なニュースはこりごりです。心配しても、やってくるものはやって来ます。
メルマガにはなんだか難しいことを書きたがる私ですが、もちろん毎日難しいことばかり考えているわけではありません。以前のメルマガにも書かせて頂いたように、毎日を楽しく生きてゆこうと考え実践しています。最近社員や友人を魚釣りに「はめて」、自分の腕自慢をして悦に入っています。病気に感染した社員が「魚釣りのブログ」を作ってくれました。
このブログのように自称「漁師」を標榜する私ですが、実際魚釣り歴は45年近くに及び、仕事やオーディオに費やしているよりも遙かに長い期間を「魚釣り」に生きています。魚が欲しければお金を払って買う方が早いですし、「一網打尽」の言葉通り網で取れば短時間でたくさんの魚を収穫できます。しかし、それでは面白くありませんし、何よりも満足や納得が得られません。釣果はバランス良く、ゲームは華麗に。その結果が釣果となって実を結びました。
まあ、ただの自慢ですが・・・。
私は先を考えて立ち止まり、何もやらない人生よりも、やってから反省し、前に進む人生を選びたいと思います。どうしようもないことに心を悩ませるよりも、ポジティブ・シンキング。趣味の世界でも、魚釣りの時間でもそれは、とても大切なことだと思います。暖かな春は、すぐそこまでやってきています
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