せせらぎ(CDプレーヤ−、プリメインアンプ直結)
Vienna
Acoustics Listzは搭載する同軸2Wayユニットの性能が高いため、Beethoven
Concert Grand(T3G)に比べると高音の輪郭がやや強いが、音の広がりは実に素直で、このCDの「ハウンダリーマイクを使った録音状況」をきちんと再現し、水音は目の前に、鳥の声は後方上の方から聞こえてくる。
AIRBOW
Ultimateのセットは、この高音の強さをうまく緩和しながらも、その明瞭度を損なわない範囲で、クッキリとしながらも滑らかさや、暖かさを損なわない音質をListzから引き出す事に成功している。
水の粒子が僅かに大きく感じられ、若干音源にも近すぎるようにも感じたが、違和感のないバランスの取れた自然な音でせせらぎが聞こえた。
せせらぎ(TRV-5SE使用)
音色はほとんど変わらないが、音のエッジが僅かに丸くなる。見通しの良さは変わらないが、聞こえるか聞こえないか暗いの小さな音が聞き取りにくくなって、音の数が少し減ってしまう。
しかし、せせらぎの雰囲気は向上する。水はゆっくりと滑らかに流れ、鳥の鳴き声の表情もバリエーションが増える。
「直結」では、まだ若干「スピーカーの存在感(スピーカーの圧迫感)」が感じられたが、TRV-5SEを繋ぐことでその違和感が完全に消え、目の前にせせらぎが流れているような、より自然でリアルな音が出た。
セレナード(直結)
あらゆる音程の音が、怒濤のように押し寄せてくる。何という圧倒的な音の数、圧倒的なエネルギー感。
間接音よりも直接音がやや強めなので、身体を包み込むようなふわりとした音の広がりはしないが、あらゆる楽器の音がきちんとあるべきタイミングで聞こえてくる。その怒濤のような情報量は「指揮者のポジション」で聴いているオーケストラの音だ。しかし、それは聞こえるべき間接音が聞こえないから「結果としてそうなっている」のではなく、聞こえるべき間接音はすべて聞き取れるから、楽団に近いポジション、すなわち「指揮者の位置」や「舞台よりの2階ベランダ席最前列」でシンフォニーを聞いている感覚にとても近い。
このセレナードは、普段23畳の試聴室でスピーカーから離れた位置で聞いているため、直接音よりも間接音(部屋の反射音)が多い状態で聞いていたが、久しぶりにスピーカーに近い位置(約1.5m)で聞いてみると、その「かぶりつきの音」のパワフルさに圧倒された。オーディオ的にやや「増幅された」この音も、また魅力的だ。
セレナード(TRV-5SE使用)
弦の音はエッジがやや丸くなり、それが原因で分離感が減少し、混濁感が生じた。また、バイオリン、チェロ、コントラバスもやや混ざってしまう。また弦楽器の切れ込みの鮮やかさが緩くなり、低音も若干膨らんでしまう。
せせらぎでは、TRV-5SEを繋ぐことで自然さリアルさが改善したが、セレナードでは、弦楽器の音が混濁し、楽器の数も減ってしまう。音色そのものは悪くないのだが、演奏がこぢんまりとしてしまった。
「完全にバランスした高性能なシステム」へ、TRV-5SEを繋ぐと「若干の情報量の低下」が問題になる。CDプレーヤーとプリメインアンプの間にTRV-5SEを追加する時は、この点に注意が必要なようだ。
しかし、CDプレーヤーとプリメインアンプの間に繋いで、情報量が減少しないプリアンプというのは、50万円、あるいは100万円を超えるような、高価な製品にしか存在しない。また、高価なプリアンプでも「楽器の音色」を変えてしまう製品がある。演奏家は「その音色で音楽を表現したい」から、高価な楽器を所有するのだから、どんなに音が良くても「楽器の音色」を変えるのは、音楽再生に使うプリアンプとしては許されないと私は思う。幸いなことに、TRV-5SEは楽器の音色をきちんと保つから、より「高価な製品と聞き比べ」さえしなければ、十分に納得できる音でセレナードが聴けるはずだ。
モナリザ(直結)
セレナードでも感じたことだが、Listzに近いポジションで「モナリザ」を聞いていると、ソフトに録音されていた「すべての音」が聞こえるような気がしてくる。ギタリストの指使いは見えるし、ボーカルは耳のすぐ側で語りかけてくるように聞こえる。
現実ではあり得ない、この距離感の近さこそ、ハイエンドオーディオの「最大の魅力」の一つかも知れない。最近では、完全にルームチューンが行われた「デジタルコンサートルーム」で機器の比較をすることが多かったが、比較的残響(部屋の反射)が少ない手前の部屋(リビングコンサートルーム)で同じソフトを聞くと、ヘッドホン的な解像度感の高さを感じさせる「過剰なまでの音の細やかさの魅力」を思い出す。
このインパクトのある高音質には、抗しがたい魅力を覚える。
モナリザ(TRV-5SE使用)
セレナードでそうであったように、若干解像度が落ちて、音も混濁する。
スピーカーに近い位置で聞いているとそれが顕著に感じられるが、スピーカーから少し離れた位置で聞いていると、TRV-5SEを繋いだことによる「広がり感の改善」が情報量の低下という副作用を上回り始める。
TRV-5SEを使わない(直結)時には、勢いの良いシャワーのように「音を浴びるように聞く」楽しみがあった。TRV-5SEを繋ぐと、楽器の響きが身体をシームレスに包み込むような独特の雰囲気が醸し出される。
今回のセッティングでは、「モナリザ」でも、TRV-5SEは副作用が効能を超えることがなかったので、私は使わない方が好みだが、セレナードの音質表にも書いたように、TRV-5SEは価格を考えれば十分に良い音だと思う。
500Miles(直結)
Listz+AIRBOW Ultimateの音は、改めてすごいと思う。それは、AIRBOWを私自身が音決めしているからではなく、ましてAIRBOWも宣伝のためでもない。
CDに録音されている音がすべて再現される。という表現は、度々目にすることがあるだろう。けれど、多くの場合それは「音」であって、必ずしも音楽の雰囲気を含みとは限らない。Listz(あえてAIRBOW
Ultimateを省きます)が素晴らしいのは、音だけではなく「現場の雰囲気」がとてもリアルに伝わってくることだ。
このソフトでは、ピアノストの指使い、鍵盤を押す早さ、鍵盤を離す仕草、ペダル操作。そういう「奏者と楽器(楽音)の関係」が目に見えるように伝わってくる。ボーカリストの唇や顔の動きだけではなく、息を吸い、息を吐く、胸の動きまで見えるようだ。
「現場のすべて」が音を通じて伝わってくる。使い古された表現だか、「目の前で繰り広げられる演奏を聞いているようだ」とは、まさしくこのような音を示すのだろう。いつまでも「聞き惚れていたい音」で、500MilesをNoonが歌っていた。
500Miles(TRV-5SE使用)
ピアノの音を録音するときは、「ピアノそのものの響きを収録するための近接マイク」と「ライブ会場の響きを含めてピアノの音を録音するためのマイク」の2本が使われること多い。「直結」では、その2本のマイクの音がハッキリと聞き取れた。「TRV-5SE」を繋ぐと、近接マイクが捉えたピアノ内部の音が聞き取りにくくなる。結果として、聞こえる音は「減る」のだが、会場で聞いているという「ライブ感」は向上する。
「直結」では、ボーカリストの前に高性能コンデンサーマイクが見えたが、「TRV-5SE3」を繋ぐとボーカルはやや離れた位置で、観客を前にしながら肉声で歌っているように感じられる。こういう「雰囲気の違い」が醸し出されるのが、真空管プリアンプの持ち味だ。20万円を切る価格で、この雰囲気感を出してくるのは、立派だと思う。
新世界(直結)
Listzは、AIRBOW
レーザーセッターでセッティングしている。大ヒットとなっている「ウェルフロートボード」は、使っていない。ウェルフロートボードはほとんどの場合(99%以上)、確実にスピーカーの音質を改善する。音が細やかになり、圧迫感が減少して音像が大きく広がるようになり、スピーカーの存在感が消える。しかし、レーザーセッターを使った極限までの精密セッティングを行う場合、私は「ウェルフロートボード」を例外的に使わない。それは、ウェルフロートボードの「遊び」により、極限のセッティングに必要な「紙一枚の精度」が得られないからだ。しかし、この精度は一般的なオーディオユーザーのほとんどがたどり着けない世界だし、またほんの少しの位置のずれで破綻してしまう。だから、超精密セッティングは、一般的にお薦めはしない。
けれど、その究極のセッティングが実現した世界がここにある。
何度も書いてきたが、CDに収録されている音のすべてが聞こえる気がする。いや、それ以上かも知れない。もちろん、世の中に「細かい音まで聞き取れる高級システム」は山ほどある。しかし、そのほとんどの音は「無機的」であったり、「機械的」に感じられる。それは、「音の輪郭が持ち上げられている」からだ。画像と同じように、音の輪郭を強調すれば、細かい音までハッキリと聞き取れるようになる。しかし、芸術表現での重要なのは「取捨選択」だ。だから、不要に音を細かくすれば、本来「捨てられた音」まで再現される。
Listz+Ultimateが素晴らしいのは、捨てられた音も聞こえるが、それが「本来の聞こえるべき音」をまったく邪魔しないところにある。例えば奏者の衣擦れや、楽器を操作するノイズ。このソフトでは、指揮者の声。そういう「本来は音楽としてなくても良い音」も聞き取れるが、それが「音楽に集中するときの邪魔にならない」ばかりか、その「ノイズ自体が音楽をより機的で身近な存在として感じさせる効果」を発揮する。つまり、ディスクに入っている音すべてが「音楽的」に聞き取れるのだ。こういうシステムはそうざらにはない。目の前にあるのに、なぜいつも聞き逃していたのだろう?もったいなような気持ちになるほど、素晴らしい音で「新世界」が鳴った。
新世界(TRV-5SE使用)
今回のセット・セッティング・試聴位置では、TRV-5SEを加えると演奏が少しだるくなってしまう。
TRV-5SEを繋ぐことで、音の輪郭が丸くなる(鋭さが失われる)のが原因だが、そもそもこの価格帯のプリアンプでこれ以上の音質を望むこと自体が、土台間違っている。TRV-5SEからそんな音が出るなら、EAR
912はいらない。
あくまでも20万円程度で購入できる「プリアンプ」として評価するなら、TRV-5SEは良くできている。プリアンプを通すことによる、解像度の低下もそれほど大きくはないし、何よりもプリアンプの「鍵」である「楽器の音色の再現性」は、価格を大きく上回る。少なくともこの価格帯の「トランジスター・プリアンプ」では、実現できない音色の良さ、雰囲気の良さを持っている。
楽曲(新世界)でTRV-5SEの「あり」と「なし」を聞き比べた評価を書こうとすると、正直厳しくなってしまう。それは、やはりTRV-5SEを「間に挟まない」時の方が、魅力的な音で新世界が鳴ったからだ。けれど、繰り返しになるが「解像度の低下」以外に、TRV-5SEが「悪さ」をすることはない。価格を考えれば、それは素晴らしいことだと思う。