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The
L・A・4
PAVANE
POUR UNE INFANTE DEFUNTE
BUD
SHANK
LAURINDO
ALMEIDA
RAY
BROWN
SHELLY
MANNE |
The
L・A・4 “亡き王女のためのパヴァーヌ”
電源投入直後にレコードを聴いたにもかかわらず、最初からすごい音が出てくる。
ウィンドチャイムの音が素晴らしく美しい。一切の澱みや濁りを感じさせず、レコードを聴いているとは信じがたいほど透明な空間に、しかしレコードでなければ出せない甘美な音色でチャイムの音が空間に溶け込んで行く。そのコントラストの鮮やかさは筆舌に尽くしがたい。
フルートの音には、アナログらしいしっかりした厚みと滑らかさが感じられる。ウッドベースの響きは、これ以上ないと言うほど濃密で木質的。柔らかいフルートの響きと暖かいウッドベースの響きが絡み合い、空間を見事なハーモニーで満たす。
ギターの音は弦の乾いた音とスプルースの美しい響きのバランスが絶妙で、人間が直接弦に触れながら音を出す楽器ならではの「強い説得力(濃密な音色の変化)」が心を鷲づかむ。
アルトサックスもレコードならではの甘く太い音でむせび泣く。
バド・シャンクは再び楽器をサックスからフルートに持ち替え、シェリーマンが奏でる美しく優しいウインドチャイムの音色とレイ・ブラウンの知的で抑えめなウッドベース、ローリンド・アルメイダの甘く美しいギターの響きのそれぞれが見事なハーモニーを奏でながらクライマックスへと曲が上り詰めて行く。
そしてフィニッシュ!すべての響きが無音の空間に吸い込まれて行き、感動の余韻だけが耳に残る。
たった一曲を聴く充実感がこれほど大きいものだとは!L・A・4の演奏がこれほどアーティスティックだったとは!
演奏者に高い緊張感を強いるダイレクトカッティングのレコードでこれほどまでに素晴らしい演奏を残せる名人芸。安易なデジタル編集で簡単にできあがる音楽には、決して求めることのできない「本物の感動」がそこにあった。
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ジェシー
V:峰純子
P:ハンク・ジョーンズ
B:ジョージ・デュビビエ
D:グラディ・テイト
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峰純子 “ジェシー”
このレコードはなぜか好きで、一番良く聞いている一枚に入る。ミュージシャンでは、ピアニストのハンク・ジョーンズだけが日本のJAZZファンになじみ深く、ドラムのグラディ・テイト、ベースのジョージ・デュビビエは、名前がほとんど知られていない。ボーカルの峰純子も、阿川泰子などにくらべてあまり名前の知られたボーカリストではない。でも彼らが集ったこのディスク、特にアルバムタイトルの「ジェシー」を初めて聴いた瞬間からなぜか強く心が引きつけられ、私は一発で峰純子のファンになってしまった。
EMT
JPA66で聴く峰純子は、厚みのある暖かい声だ。女性ならではの優しさや包容力、色艶を感じさせる声が大げさではなく生きるエネルギーを与えてくれる。
楽器は、低音の厚みがすごい。
カートリッジにどちらかと言えばやや無機的で日本的な音のするPhase
Tech
P3を使っているにもかかわらず、まるでEMTのカートリッジを使っているような分厚い濃密な音が出る。しかし、音場に濁りは一切無く、依然として透明感は非常に高い。
厚みがあって、濃密でありながら、透明感も高い音。聴かずとして、そんな音が想像できるだろうか?
楽器の分離は完全で各々の楽器の音色の違い、演奏者の楽音のデリケートなコントロールが見事に再現される。
音の出方や雰囲気が本当に「生演奏」に近いから、音が細かいとか、分離感がよいとか、そういう「オーディオ的なコメント」を書くことができなくなる。
ボーカルは語りかけ、ベースは弾み、ドラムは時に爆発する。ピアノはボーカルに美しく寄り添って鳴る。30年の時を超えて名演奏が目の前に蘇る。ああ、なんて素晴らしい時間だろう!この時間を買うことができるなら・・・。感動はプライスレス。つまらないコマーシャルの言葉ですら、俄に真実味を帯びてくるほどの素晴らしい音でジェシーが鳴った。
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八神純子
素顔の私
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八神純子 “素顔の私”
日本を代表する女性ボーカリストの彼女は、すでに50才を超えた現在もファンが多い。パッと出で長続きすることのない、今のアイドル系ボーカリストとは比較にならない息の長さが、彼女の「ボーカリスト」としての実力の高さを裏付けるが、このレコードの一曲目を聞けばその理由が分かるはずだ。
八神純子の独特の透明な声は、美しい楽器の音を聞いているように心に響く。言葉にならない、ハミングを聞いているだけでも心地よく楽しくなる。J-POPの歴代の女性ボーカリストで、これほどの素晴らしい声の持ち主はそれほど多くはない。残念ながら、今は歌手としての実力よりも「外観」が遥かに重要視されているから、よほどのことがない限り、こんな本格的な歌手が今後輩出するのは難しいかも知れない。
EMT
JPA66で聴く彼女の声は透明なだけでなく、訓練を積んだボーカリストらしい厚みと艶が感じられ、良質な楽器のように心にストレートに突き刺さる。
さらに驚いたのは、このレコードにハーモニーとして収録されている男性ボーカルが完全に分離し、そのボーカルのレベルもとても高く聞こえることだ。伴奏のレベルも高く、ミキシングも素晴らしい。J-POPのレコードで「主役のボーカル以外の音」がこれほどの音質で録音されていたなんて今までちっとも気づかなかった。
八神純子がドレスで正装して最高のステージに立って歌っているような、晴れ晴れとした明るい雰囲気が伝わってくる。しかし、このレコードを録音した現場はスタジオに違いないから、ステージに立って観客を前に歌っているように聞こえるのはすこし違うのかも知れない。だが、例えそれが録音の真実だとしてもスタジオで窮屈に謳っているように聞こえるよりは遥かに良いはずだ。
開放的でエネルギーに満ち溢れた、そういう音でJ-POPが見事に鳴る。伴奏の弦楽器の音は、ホールで聞くように美しい。こんな音なら、いつまで聞いても聞き飽きることはない。そして何度と繰り返し聞くことで感動が深まっても、それが色あせるなんて想像することすらできない。素晴らしい音楽は永遠に素晴らしく、感動は常に新しい。
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チェリビダッケ
展覧会の絵
HQ-AUD-600
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チェリビダッケ “展覧会の絵”
JAZZやPOPの試聴でJPA66がどれほど素晴らしい製品であるか、まざまざと感じ取れた。しかし、誤解を恐れずに言うなら音楽の本道「クラシック」は避けて通れない。クラシックを聞かずして機器の評価を下すことなどできない。
第一にクラシックを鳴らすのは、オーディオで最も難しい。なぜなら、楽器の数が圧倒的に多いからだ。録音されて電気信号に置き換えられる音を一本の線とするなら、10台の楽器は10本の線が混ざった波形になる。交響曲では100台近い楽器と、それらがホールで反射した音がマイクに入るから、その波形の複雑さは想像を絶する。さらに一曲の中にこれほど大きな音と小さい音が混在する音楽も他に類がない。それほど複雑で深い音が「たった一本の波形」に収められそれが見事に再現されるのだから、オーディオ(録音)という技術は驚くべき能力を持っている。私は時々それをとても不思議に思う。理屈としては分かっていても、レコードを目の前にしてこの細い一本の溝の中にあれほど豊富な音楽芸術が収められているとは信じられない。そして、その細い一本の線からこれほど豊富な音が取り出せるなんて!すでにそれは私の理解の範囲を大きく越えて、奇蹟と呼ぶしかない。
チェリビダッケの振るオケは、速度が異常に遅いことがある。その極端にゆっくりした演奏のためか、彼は暗く地味な指揮者だと誤解されがちだ。もちろん、決して明るく快活な演奏とは言えないが、彼の振るピアニッシモの静寂が比類しないように、彼の振る演奏に秘められたエネルギーの大きさも比類がないと私には感じられる。
この細い溝のどこにこれほどのパワーを封じ込められるのか?EMT
JPA66からは、聞かなければ絶対に理解できないほどの深く厚く重い音で展覧会の絵の低音部が鳴る。さらに驚くべきなのは、チューバの太く重い音が入っても他の楽器の音がマスキングされず完全に分離して聞こえることだ。レコードなのに低音に大音量が入っても、中高音のデリケートな音が一切揺らがない。このふてぶてしいまでの安定感はなんだ!真空管を素子として使っているにもかかわらず、トランジスターアンプを遥かに超える良質な低音と安定感が実現する。中高域の透明感と濁りのない分離感は、真空管らしい美しさを保ったままに!
楽音の一つ一つ、すべてのハーモニーが明確な説得力と深みを持って押し寄せてくる。完璧なオーケストレーションを目差し、それを成し遂げたチェリビダッケの真骨頂が眼前に見事なまでに再現される。すごいなぁ。
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ヨゼフ・シゲティー
バッハ
無伴奏バイオリン
ソナタ全集
(2枚組)
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ヨゼフ・シゲティー “無伴奏バイオリン・ソナタ全集”
この演奏でシゲティーは、ガルネリデルジェスを愛器とし枯れた音を出していた。しかし、若い頃の演奏はまったく違い、常に煌びやかで美しい音をバイオリンから出していた。著名なバイオリン演奏者のナタン・ミルステインのように美しい音をだ。そんな彼が、なぜこれほどまで虚飾を廃した「枯れた音」でバッハを演奏するようになったのだろう?確かにナタン・ミルステインの奏でるバッハ無伴奏バイオリンソナタは、華麗で美しい。しかし、シゲティーを聞いた後では、なぜか軽く感じられる。晩年のシゲティーが演奏するバッハ、その枯れた音には、彼の演奏家人生に等しい重厚さが感じられる。この演奏は、シゲティーの集大成にふさわしい。
シゲティーが奏でる枯れた音と虚飾を廃した弓使いが、バッハの曲に見事にマッチする。空(虚)を極めることが美に結実する「禅の心」にも似た求道的な演奏だ。美が無に繋がって行くようなカザルスの演奏も好きだが、無が美に繋がって行くようなシゲティー的なバッハの解釈も私は好む。演奏のスタイルはまったく逆だが、彼らに共通して感じるのは、すべてのエゴから解き放たれた無心の境地の美しさと静けさだ。
話は少し戻るが、峰純子のレコードをEMTのXSD-15で初めて聞いたとき明らかにテンポが遅く感じられて、思わずストロボスコープでレコードプレーヤーの回転をチェックした。当然回転数は間違っていなかったが、それでもテンポは明らかにゆっくりに聞こえた。JPA66も同じでレコードプレーヤーの回転数をまったく変えていないのに、明らかに「曲がゆっくりになった」ように感じられる。
その後のAIRBOWでの音作りの経験から、音の立ち上がり部分を僅かに遅くすることでそういう「遅延効果」とEMT製品に共通する独特な「音色のコントラスト感の向上効果」が得られることを知った。しかし、カートリッジのXSD-15といい、CDプレーヤーの986といい、フラッグシップのJPA66といい、その絶妙なさじ加減は私の手の届く範囲にはない。私がまだ上手く踏み込めないでいる領域で彼らは易々と音を作る。そのテクニックには、常に舌を巻かされる。
EMT
JPA66で聞くガルネリの音は音の出始めの切り込み部分の角が少し丸く、生音に比べるとアタックが明らかに甘くなる。結果として張り詰めた緊張感が少し殺がれる。それは、EMT独特の厚みやコントラストの強さを得たことによる副作用だが、得られた「良さ」と比べれば、失ったのは取るに足りない微細な部分だ。
このレコードと同じマスターから作られたCDを数え切れないシステムで聞いてきたが、バイオリンのビブラートはJPA66が最も細かい。CDで最小と思われたビブラートの中にさらに小さな音の揺らぎ(すなわち、さらに小さいビブラート)が聞き取れる。余韻部分の響きの良さ、バイオリンのコントロールのデリケートさも筆舌に尽くしがたい。
CDでは聞くことのできない音の深み、演奏の美しさがエッセンスとして加えられる。実際のバイオリンの響きは、もう少し硬質だと思うけれど、僅かに肉が付いたこの美しい響きも決して悪くないし、一般的にはこの音が好まれると思う。
バイオリンのソロ演奏を聴いても感じるのは、EMT
JPA66再生音の安定感の高さとバランスの良さ。どんな大きさの音が入っても、どれだけ多くの音が入っても、それによって他の音が揺らぐことがない。大木が大地に深く根を下ろし、幹もまったく揺らぐことなく、葉だけが自由に揺らめいている。例えるなら、そんなイメージかも知れないが、これほど音の芯がまったくぶれない安定感のある音を出すプリアンプを他に知らない。
もちろん安定感だけが高いアンプなら他にもあるが、そういうアンプは概して響きが悪く、音が硬かったり、冷たかったり、平面的であったり、無機的な音の製品がほとんどだ。それに対しAクラスや無帰還の製品に多い有機的な音が出るアンプでは、音の芯が不安定になって音像がぼやけてしまったり、音量や音数によって音色がぶれてしまうことがある。JPA66はそのどちらの長所も兼ね備え、欠点は一切引き継いでいない。これがEMTが目差して来た、そして目差している音なのだろう。矛盾を矛盾と感じさせず、長所だけを両立させうる手腕は、見事という他はない。
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ヨゼフ・シゲティー
バッハ
無伴奏バイオリン
ソナタ全集
(CD/2枚組)
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ヨゼフ・シゲティー “無伴奏バイオリン・ソナタ全集” <CD>
デジタルプレーヤーにAIRBOW
UX1SE/LTD、クロックジェネレータにAntelope Audio OCXを使いEMT
JPA66のライン入力に接続して音を聞く。
レコードと比べると音数が少なく、バイオリンの質が落ちて聞こえる。決して悪い音ではないが、情報量が減ってしまったことが聞き取れるのであまり面白くない。そこでJPA66を使わずにUX1SE/LTDをCU80/Specialに直接繋いでみた。
高域の立ち上がりが早くなり、バイオリンの音にちょうど良い「硬さ」が出た。音色の濃さや音数の多さではレコードに軍配を上げるが、音の正確さ、特にアタックの再現の正確さではUX1SE/LTDがJPA66を明らかに凌ぐ。正確さを旨とする、デジタルの面目躍如だ。
EMT
JPA66でレコードを聞くと、響きが多い通常のコンサートホールの中央付近で演奏を聴いているように感じられた。それをCDに変えると小さなコンサートホールの舞台袖、もしくはスタジオで演奏を聴いているように感じられる。音の正確さや楽音の関係の正確さはUX1SE/LTD、すなわちデジタルがEMT
JPA66で聴くアナログレコードを凌いでいる。甘美さではレコード、正確さではCD。音楽性は甲乙付けらない。
どちらも素晴らしい。考えられないくらい贅沢な聞き比べだが、それは決して疲れるものではなく、心がワクワクするものだった。その“ワクワク“は、私の筆の勢いからも察して頂けると思う。頂点に君臨するオーディオは、デジタル、アナログにかかわらず、どちらも素晴らしいものだった。オーディオが未来に向けて進歩を続けていることを確信できた比較試聴だった。