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情報(ニュース)が伝わるのが早くなったことで、年々一年が早くなるように感じます。中でも、今年のお盆から暮れにかけての時間の早さは今まででも一番でした。実際には、ハイエンドショウトウキョウ2009秋を始めとするイベントを行ったり、仕事的にはかなりの量をこなしましたから、そういう意味では充実していて「長かった」はずなのですが、それでも「アッという間だった」と感じるのです。それは、きっと「自分の時間」が少なかったせいではないだろうかと思います。
「歪みを減らすことが音を良くすること」と信じて開発したデジタル・オーディオが何をもたらしたか?それはオーディオ・アクセサリーに注目すれば分かります。最近、レコード時代に存在しなかった高級ケーブルを始めとする高額なオーディオアクセサリーを数多く見かけます。原音追求がオーディオの目標なら、なぜこんなにも多くの「高額アクセサリー」が必要とされるのでしょう?それは、オーディオ・マニアが「味わいの変化」を「アクセサリー」に求めたからです。彼らにしてみれば、「歪み」=「遊び(無駄)」がないオーディオはつまらないのです。
現在、私たちは情報処理のほとんどをパソコンに頼っていますが、パソコン間の通信で「データーが欠落」あるいは「データーが改変」されてしまったらどうなるでしょう?大変なことになるのは自明です。それを防ぐためパソコンのデーター通信は「双方向」で行われています。送り側から「データーの塊(パケット)」を送信し、受け側がそのデーターをそっくりそのまま送り側に送り返し、送り側はそのデーターを検証して受け側に「完全に正しいデーターが届いた」のを確認してから、次のデーターを送信するのです。データーの受け渡し時に「完全なる伝送」を常に確認しているため、伝送中に「エラー(データーロス)」は絶対に起きません。
しかし、「エラー訂正」が行われれば、音は途切れなくても音が変わってしまいます。送られたデーターと、再生されるデーターが違ってしまうのですから当然です。このようにデジタル・オーディオでは、デジタルでありながら「音が変わる=歪みが発生」しています。
お尋ねしますが、オーディオでの一番の驚きは何でしょう。それは「音が変わる」ことではないででしょうか?今のデジタル・オーディオには、今おはなししたような理由で(他にも問題はありますが)音を歪ませる欠点があります。しかし、欠点があるということは感動を生む観点からすれば、決して悪いことではないのです。アナログを愛好するオーディオマニアは、それを本能的に知っているから「デジタル」を嫌うのだと思います。
何を隠そう、今ではPCオーディオ推進派の私ですが、1年前まではPCオーディオを完全否定していました。レコードと比べたときあまりにも「簡単」過ぎて、そこに「趣味性」が見いだせないように思えたからです。
ここで私の考える「趣味性」について、すこし書いてみます。私の世代では子供の頃は、「触れて遊ぶ」ことしかありませんでした。テレビゲームもなく、バーチャル(仮想現実)もなく、すべての経験は「リアル」でした。私はカートレースと魚釣りが大好きですが、それは「自分のイメージ(予想)」と「現実」が見事に一致したときの心地よさを知っている(忘れられない)からです。人間が対応できるはずがない速度で車を操り、コースを風のように駆け抜ける。たった一本の糸を通じて、見えない魚の動きを知りそれを釣り上げる。自然と自分自身が完全に一体となったときの「感動」は、バーチャルで得られる「感動」とは比較になりません。また、そういう「感動」を経験すればするほど、自分の感覚は繊細に研ぎ澄まされ、僅かな手がかりから様々な現実(現象)を知り、予想(予知)することが出来るようになります。リアルな遊びを通じて五感と脳の中にある現実の距離が近づき、自分が感じる世界と現実の世界が限りなく同一化するからです。
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