ウイーンアコースティック T3G-B VIENNA ACOUSTIC T3G-B 音質 比較 評価 試聴 テスト Beethoven Baby Grand

T3G-B  ( Beethoven Baby Grand )
ウィーンアコースティック Vienna Acoustics T3GとT2Gの

中間モデルT3G−B

2008年5月、CECよりウィーンアコースティック“T3G−B”が発売されました。本国名は、Beethoven Baby Grand です。T2G/T2G Limited Editionとの仕様比較とT3Gとの音質比較を行いました。

T2G Limited Edition

T3G-Bの主な仕様 T2G Limited Editionの主な仕様

形式

3ウェイ、4スピーカー
(リアバスレフ)

ユニット

2.8cmツィーター
15cmミッドレンジ
15cm×2スパイダーコーンウーファー

インピーダンス

4オーム

クロスオーバー周波数 170HZ、2.6KHz

再生周波数帯域

30〜22,000Hz

音圧レベル

91dB

許容入力

40W〜250W

仕上げ

ローズ、チェリー、メイプル
ブラック

寸法(mm)

190×987×328(W,H,D)
本体サイズ

質量

約28.5Kg、1台

標準価格

\760,000(ペア・税別)
ご注文はこちら

形式

3ウェイ、3スピーカー
(リアバスレフ)

ユニット

2.8cmツィーター
15cmミッドレンジ
15cm×1スパイダーコーンウーファー

インピーダンス

4オーム

クロスオーバー周波数 200HZ、3KHz

再生周波数帯域

30〜22,000Hz

音圧レベル

90dB

許容入力

30W〜200W

仕上げ

ピアノブラック

寸法(mm)

190×940×295(W,H,D)
本体サイズ

質量

約26Kg、1台

標準価格

販売完了商品

サイズが少し大きくなりました。幅(同じ)・高さ(+47mm)・奥行き(+33mm)

ウーファーは、補強リブの入った「スパイダーコーン」のWになっています。

これに合わせてバスレフのポートも小×2から大×1に変更されています。

音質テスト T3Gとの比較試聴

音質テストは、T2Gではなくクラスがより近いと考えられるT3Gとの比較で行った。

Vienna Acoustics T3G

比較試聴に使ったアンプは、AIRBOW LITTLE PLANET2。このアンプは、小型だがノイズレスインバーター電源の採用で抜群の切れ味と力感のある低音が両立した本格的な音質に仕上がっている。最近、あまり試聴に使っていなかったが、T3Gとの組合せで好きな音が出るこのアンプを久しぶりに使った。

AIRBOW'プリメインアンプ'Little Planet 2_2

AIRBOW LITTLE PLANETE2

CDプレーヤには、AIRBOW最新モデルのCC4001/Specialを選ぶ。このプレーヤーは、5連奏だが素晴らしく音が良い自信作で、ハイエンドショウ東京2008Springでもデモに使った。特徴は低音がとても充実していることと、中高域の響きが美しく、音が部屋いっぱいに広がることだ。楽器の色彩感もカラフルで、良くできた真空管アンプに近いような柔らかく艶っぽい音色を持っている。

AIRBOW CC4001/Special


一枚目にはEPOのアルバムから“WICA(TOCT-6679)”を選んだ。このアルバムは、1992年9月16日にリリースされたかなり古いものだ。

EPOと聞いて"う・ふ・ふ・ふ"という曲を思いだした方がいらっしゃったなら、多分私と同年代の方なのではないかと思う。彼女は、1983年に多くのCMに使われたこの曲で大ブレークしたが、その後は比較的地道な音楽活動を続けて今に至る。実は、私の中でEPOは1983年前後の大ブレークの後消えてしまったミュージシャンだった。その上、私は"う・ふ・ふ・ふ"という曲も決して好きではなかった。にもかかわらずこのアルバムを買ったのは、ジャケットの雰囲気に惹かれたからだが、結果としてそれは成功だった。

"WICA"の1曲目は、私の好きなピアノの音から始まる。イントロの煌びやかなピアノの響きに乗って、エコーがやや多めにかかったEPOの澄みきったボーカルが重なってゆく。その美しいハーモニーに身を委ねていると、優しく穏やかでそしてちょっぴりセンチメンタルな気持ちになれるはずだ。

このアルバムは、打ち込みがほとんど使われず、アコースティックな生楽器を使って丁寧に作られる。その音作りからEPOというミュージシャンの音楽を愛する気持ちがしっかりと伝わってくる。この強い想いがあったからこそ20年近く音楽活動を続けてこられたのだろう。その情熱には、頭が下がる。

こういう心を込めて作られた本格的なソフトなら、\3,000でも私は決して高いとは思わない。むしろ安いとすら思う。最近、CDが高いと感じることが多いのは、そういう心のこもったソフトに出会えることが少ないからかも知れない。

"WICA"が気に入ってからEPOのアルバムは、ほとんど購入したが、"UVA"という2枚組のライブアルバムもとても気に入っている。

T3G

ピアノの高い音の響きが部屋中にゆったりと満ち、空気が柔らかく澄み切ってゆく。その響きの中に忽然と浮かび上がる優しく強い声。歌詞が心に流れ込んで明確な形を持つイメージに変わる。

ピアノの低減の音は、しっかりと地面に根を張って音楽の骨格を支える。その力強い響きの中に星屑のようにちりばめられる、美しい高弦の響きの調和とハーモニーが織りなす美しいドラマ。一音一音が明確に分離して聞き取れるのではなく、上手く混じり合って聞こえるから、個々の音を表現するのが難しい。

スピーカーの存在が完全に消えて、部屋に美しい響きだけが満ちては消える。曲が終わり静寂が訪れた時、心が違う時空を彷徨っていたことに気付くほどに心地よい音だ。

すべてのオーディオが、こんな音で鳴ったら・・・。音楽は、人を優しい気持ちにできるだろう。

T3G-B
音が出た一瞬、スピーカーを切り替えたことがわからなかった。それくらいT3Gと音が似ている。懸念された低音の量感不足も聴感上は、ほとんど感じられない。

高域のクオリティーはT3Gと全く遜色がないが、スピーカーの幅が少し狭くなったことで音がよりストレスなく広がり、音場の濁りが一段と少なくなって一音一音がクリアに感じられる。音の芯もよりシッカリ、ハッキリとする。

結果として、高域の輝き(プレゼンス)が一段と増したように感じられる。高域フェチ(私もかつてはそうだった)のオーディオマニアには、こたえられないほど甘美で美しい高音だ。

ヴォーカル帯域も高域と同じように濁りが少なくなり、芯がハッキリする。T3Gで聞くEPOは成熟した大人の女性を感じさせるが、T3G-Bで聞くEPOはそれよりも少し若く感じられてキュートな魅力が出てくる。

低域は、T3Gが部屋中に柔らかく広がったのに対し、T3G-Bはスピーカーを中心に音がやや塊となって出てくるように感じられる。広がりとゆとりがあるT3Gの低音に対し、力感と押し出し感スピード感を感じるのがT3G-Bの低音だ。

T3G-Bはエンクロージャー(スピーカー)のサイズが小さくなったことで、音の広がりがよりクリアーになる。セッティングもT3Gよりもずっと楽なことは、想像に難くない。スピーカーを置く部屋の大きさが8〜12畳あるのならば、T3Gが持っている"ゆとり"が生きてくるだろう。部屋が6〜8畳、あるいはそれよりも小さいなら、T3G-Bの締まりのある低音が音場を引き締めてくれるはずだ。また、アンプの低音がルーズならT3G-Bがマッチし、量感が少なく感じたり締まりすぎているようならT3Gが合うだろう。

EPOの一枚を聞いただけでT3GとT3G-Bの違いはハッキリとわかるから、これ以上違うソフトを聞いて確認することは何もないと感じる。しかし、念には念を入れそれを確認するために適したソフトをさらに数枚聞くことにする。

低音の絶対量の確認のため、パイプオルガンを聞く。

TOCCATA AND FUGUE/J.S.BACH ORGAN WORKS / HELMUT WALCHA (POCG-7028)

選んだソフトは、パイプオルガンで最もポピュラーな「トッカータとフーガ」、演奏者は「ヘルムート・ヴァルヒャ」。この「トッカータとフーガ」は、それこそ腐るほど沢山の録音があり、様々な奏者によって奏でられているのは皆様もご存じだと思う。その中で私は「ヴァルヒャ」の演奏が一番好きだ。

彼は、不幸にも若くして失明した盲目の奏者である。楽譜を読めない彼は、バッハのオルガン曲をすべて暗譜してしまった。彼の演奏が特異なのは、この暗譜と盲目という点によるところが大きいと思う。彼の演奏は、彼が脳裏に描くバッハのイメージを具現化するように「空間に音を置いてゆく」だけのように聞こえる。彼の頭の中には演奏する前に、あるいは音を出す直前に「音が出たときのイメージ」が明確にあるに違いない。音が出てからあわててコントロールする必要のない、彼の演奏は地に足が着いたように「ガン!」とした構造を持っている。太陽の塔のように、下から上に向かって見事な造形美をもって描かれる彼の音楽構造は、独特の強さを持っている。

また、私は「ヴァルヒャ」の演奏に「色彩感の鮮やかさ」を感じるが、それも彼の演奏が好きな理由の一つである。楽器の中でバイオリンのように「音源に実際に指を触れられる」種類のものは、多様な音色を出しやすい。これに対し、ピアノやパイプオルガン、とくにチェンバロのように「音質を直接コントロールすることが出来ない楽器」は、音色が単調になりがちだ。しかし、優れたチェンバロ奏者は、チェンバロから見事な色彩美を引き出すことができる。そのチェンバロの色彩美は「音が出てからのコントロール」例えば、弦を抑える圧力やタッチを変える、ビブラートを掛けるというような「後細工」で得られるのではない。一音が出て、次の音をどの響きのどこにぶつけるか?あるいは重ねるか?音を入れる一瞬のタイミングだけで、微妙な音色の違いが生み出されるのだ。幸いにも優れたチェンバロ奏者である「ヴァルヒャ」は、この技術を習得しているからこそパイプオルガンからも多彩な音色を引き出せるのだと私は考えている。

揺らぎのない造形美とそれを彩る色彩が完全に再現される装置で彼の演奏を聴いたとき、他の奏者との圧倒的な表現力の違いに気付けるはずだ。

T3G
このスピーカーで「ヴァルヒャ」を聞くと、彼の演奏の構造的な美しさが十分に表現される。

低音は量感豊かだが、闇雲に広がって高域の透明感、切れ込みの鮮やかさを濁すことはないから、各旋律とその響きは透明なまま、正確無比の美しさを持つハーモニーへと結実する。

演奏が全体的に少し希薄な印象があるが、これはCC4001/Specialの限界だろう。試しに上位機種のSA10/Ultimateで聞いてみると「ヴァルヒャ」の持つ骨格の芯の強さと表現力のさらなる深みが再現された。

最初に聞いたJ-POPでは、その限界をほとんど感じさせなかったCC4001/Specialだが、メカニズムの簡易さ故か?耳には聞こえないが「揺らぎ」のようなものがほんの少し感じられて、それが演奏の骨格をすこし弱いものにしているのだろう。だが、マイナス点はそれくらいで中高域の繊細感、倍音構造の正確な再現性など、本格的なクラシックを十分に聴けるだけの音が出ているから大したものだ。

T3G-B

右手の旋律は、明確さを増し芯も強くなるが、響きの減衰がT3Gよりも速くなる。そのため演奏全体の速度が少し上がって感じられる。低音の量感不足は聞き取れないが、身体に感じる「風圧」のような空気の揺らぎは明らかに後退する。音の広がり感、演奏のスケール感も若干小さくなる。しかし、それでもこんなに小さなスピーカーが鳴っているとは、到底信じられないほど豊かでしっかりした低音が出てくる。少なくともサイズの近いT2Gとは、異なる次元の表現力があるのは間違いない。

響きの成分が減り、空間の濁りが少なくなったせいか「ヴァルヒャ」の指使いをハッキリと感じられるようになる。音の輪郭の明瞭度の増加によるものだろう。これは、ヴォーカルの子音が明確になったのと同じ傾向だ。音はしっかりとするが音楽を聞く、その雰囲気を味わう、という意味であればT3Gよりも「それらがやや後退した」と言わざるを得ない。ただし、今回テストしているT3G-Bは、完全な新品なので、高域は鳴らし込めばもっと柔らかくなるはずだ。そうなれば、スピーカーの味わいももっとT3Gに近づくはずだ。その点は、やや差し引く必要がある。

誤解しないで欲しいのだが、私はあえて小さな違いを大きく拡大してこのリポートを書いている。もし、T3GとT3G-Bをすり替えられたなら気がつかないかも知れない。それほどT3G-Bは、T3G並に良くできたスピーカーだ。このサイズ、この構成の中で完全に「ウィーン・アコースティックの音」を実現している。そして、それは上位機種の"それ"とほとんど違わないからさすがなのだ。

最後にモノラルの交響曲を掛けることにする。

Beethoven sinfonien/Symphonies No6&8 / WILHELM FRTWANGLER
Wiener Philharmoniker 、 Stockholm Philharmonic Orchestra / 0777-7-63034-2-0

このモノラルのディスクを掛けるのは、「音楽性」のチェックが目的だ。

ありがちなことだが、最新のオーディオセットでSPから復刻されたクラシックを聞くと、音が塊となって醜く歪み、ただうるさいだけの演奏に聞こえてしまうことがある。そして、それを「ソフトが悪い」と言ってあきらめる方がいらっしゃる。それは、明らかな間違いだ。録音がどうであれ「名演奏」が「名演奏」として聞けないオーディオセットに一体どれほどの価値があるのだろうか?優れたオーディオは、録音の善し悪しごときで音楽性を失ってはならないのだ。

ハイエンドショウ東京2008Springの音源出版のブースでTAD R-1のデモに「汽車の音」を使っていらっしゃった評論家を見かけた(耳にした)が、そんなものを高価なオーディオセットで聞くのもどうかと思う。ただの「音」を録音して、再生した所でそれに「技術的な興味を満たす」以上の何か大切な理由でもあるのだろうか?大きな音、激しい音を聞きたければ、F1のエンジンの爆音を聞けばよい。あるいは、削岩機でも滝の音でも大きくて「きもちいいい音」は、ちょっと脚を伸ばせばいっぱい聞ける。そして、それは機会があればいつでも聞ける。そんなものを録音して、再生して・・・。馬鹿な話である。

その上、音楽を聞くことと音を聞くことは、脳の生理学的にも全く違っている。同じ繰り返しがない「ノイズ」は、脳の記憶によって補完されることがないが、楽器の音や演奏は聞き手の経験や記憶によって正しく補完され、耳から聞こえる音以上の音楽性を取り出せる(想像できる)。オーディオセットの音楽性を正しく評価しようとするなら、音楽性の高いソフトを演奏しなければ意味がない。その著名な評論家は、そんなこともご存じなかったのか?あるいは、サービスのつもりだったのか?真意はわからない。しかし、そんなデモをするからオーディオ・マニアが変人扱いされてしまい、ショウがおかしな事になってしまうのではなかろうか?

話を戻そう。私が聞こうとする「交響曲」は、もう二度と聞けない種類のものだ。それだけではない、演奏自体それがどんなに稚拙なものであったとしても、録音なしには同じ演奏を2度繰り返して聴くことはできないのだ。失われたはずの演奏を自室に再現することができる。気のすむまで繰り返し聞くことが出来る。装置を変え、音を変えることで、同じソフトから違う感動を味わうことが出来る、それこそがオーディオセットが持つ最も重要な価値なのだ。オーディオセットは、音楽を聞くために存在する。テスト信号や汽車の音などを聞いたとしても、よしんばそれがいい音で鳴ったとしても音楽が聞こえなければ、それはただのゴミにしかすぎないと私は思う。

T3G
モノラルとは思えないほど綺麗に音が広がり、交響曲が部屋に大きく展開する。

ピアニッシモでは小さかった空間(音の広がり)が、フォルテではビッグバンの様に大きく展開するが、この「フォルテで音の広がりが大きくなる」という部分が、モノラルや録音の悪いソフトを上手く再生する時の重要なポイントになることをご存じだろうか?

録音の悪いソフトがうるさく聞こえるオーディオセットは、フォルテで音場空間が広がらないから、空間の中で音がぎゅうぎゅう詰めになってそれが歪みっぽく聞こえたり、うるさくなってしまう原因になる。空間を飽和させる音の数が決まっているとするなら、ピアニッシモなら音の数が少ないから空間が小さくても飽和しないが、フォルテでは音の数が多くなるから空間が大きくならないと音が飽和してしまうという単純な理屈だ。では、空間を広げるにはどうすればよいのか?音と音の間に「すきま(距離)」を作ればよいのである。この「すきま」は、オーディオでは主に信号の遅延による響きの発生によって作られると私は考えている(実際の演奏では、倍音構造の違いが重要になるのだが)。

例えば、歪みの少なさを売り物にするオーディオセットやデジタルアンプは、信号に対してあまりにも忠実過ぎるためこの「すきま」が生まれない。それ故に録音の悪いソフトを上手く再生することが出来ないと考えられる。逆に真空管アンプでは、真空管の内部による遅延=響きの発生により「すきま」が生まれやすい。また、構造的に真空管アンプは「奇数次歪み」が発生しやすいが、それが倍音を美音にかえるという副次的な効果を生む。

つまり、機器の中で発生する「響き=歪み」の成分が微妙な音の遅延やズレを生み、その結果として「音場が拡大」したり「悪い録音が聞きやすくなったり」するのである。このようにオーディオセットとは、意図した響き=歪みを上手く発生させることで、音の過飽和を防がなければならないのだ。これは、すべてのオーディオセットに当てはまると考えている。デジタルが導入され、データとしての音を良くすることを25年間も続けてきた最新オーディオシステムから「心地よい音楽」が未だに聞こえないのは、こういう理由であろう。

電気屋では、オーディオセットは作れないし、売ることもできない。それができるのは、音楽家あるいは芸術家としての感性やセンスを持ち「響きを味方に付けられる」人間だけなのだ。残念ながら国内オーディオメーカー技術者の入社試験で音楽の項目はない。求められるのは、電気的な知識なのだ。翻って、音が良いと評価される海外製オーディオの設計者、メーカーには必ず音楽を正しく理解するメンバーがいる。海外製オーディオが技術やコストで日本製に劣るのに多くのファンを持つ理由もそこにある。そしてウィーン・アコースティックは、それをなし得る数少ないスピーカーメーカーの一つである。

私は、T3G-Bを聞いてそれを確信した。ウィーンアコースティックの音は、初期の製品よりも格段に進歩している。

T3G-B

驚いたことにこのソフトでは、T3G-Bの方がT3Gよりも音数が多く聞こえる。演奏の緻密さやエネルギー感、力強さも増してより「フルトベングラー」らしい、整った美しさが感じられるようになる。これは推測だが、多分SPの復刻ということで最初からCDに低音が収録されていない事が影響しているのだと思う。SPの復刻ならT3G-Bの再生周波数レンジで十分なのだ。

そのT3Gよりも限られた周波数レンジの中では、T3G-Bの音はT3Gよりも端正で美しい。交響曲が持つ構造的な美しさ、色彩の織りなす美しさ、多くの楽器が一斉に奏でられるときの圧倒的なエネルギー感、そのどれもが全く不足なくT3G-Bから再現される。ある意味でスピーカーは小型の方が良いと言われる所以でもある。

T3G-Bは、ウィーンアコースティック“Beethoven Baby Grand”と言う名にふさわしい、瑞々しく美しいベートベンを聞かせてくれた。

総合評価

今回の比較試聴では、スピーカー以外にも言及することが多かった。それが正しいかどうかはわからないが、ソフトのこと、オーディオセットの存在意義や響きの制御に関する私の考え方を書いたのは、それらすべてをオーディオファンが看過してはならない重要なポイントだと思ったからだ。

オーディオセットは、音楽を聞くためのものであり、高級なオーディオセットは、低額なそれよりも同じ音楽をより雄大によりスペクタクルにドラマティックに聞かせてくれなければならない。しかし、それが現実になっているとは到底思えない。売れている商品の音が必ずしも良いとは限らないし、高い製品の音が良いとも言えないからだ。

曖昧なことに対し、人はごまかされやすい。噂、価格、ブランドなどを強調されると、ころっと行ってしまうことが多い。だからこそ、購入するオーディオセットは、十分に吟味して欲しいと願うのだ。それが、その後の音楽との付き合いや、あるいはそれを通して人生観すら変えてしまうことになるからだ。

今回試聴に使ったLittle Planet2は、10年近く前にその基本構造を私が作ったアンプである。それから約5年の間、熟成を重ねて今に至る。この機会にそれをじっくり聞き直してみて、それこそ音楽を聞くため、感じるための基本であり、そして十分以上のアンプであるという思いが深まった。

10年前にこの音を作れた私は、この10年間一体何をしていたのだろう?何をしてきたのだろう?力が抜けるような想いが一瞬脳裏をよぎるが、今の私に迷いや後悔はない。この10年間があったからこそ、オーディオと音楽、そして音楽を再現するオーディオセットの音に揺るがない確信を持てたからだ。

禅の掛け軸に描かれる「○」のようにぐるりと回ってスタートに戻った気がする。この10年間は決して無駄ではなかった。スタートこそゴールであると確信するために避けては通れない道のりを歩んでいたのだから。

10年間の確信の後に私が作ったCC4001/Specialは、10年前に迷わず作ったLittle Planet2と非常に相性がよい。色彩の豊富さ、響きと余韻の美しさ、音場の広がり、中低音の量感と厚み・・・、そのどれもが音楽を「楽しく聞く」ために欠かせないものばかりだ。このCDプレーヤーで録音の悪いとあきらめていたJ-POPやROCK、JAZZ、CLASSICなどあらゆるソフトを聞いて欲しい。その圧倒的な躍動感、楽しさに目が飛び出すほど驚かれる違いない。

出来ればハイエンドショウ東京でも評判が高かった、逸品館の音を是非一度聴きに来ていただきたい。料理が上手くなる最大の秘訣は、「美味しいものを食べること」、それしかないからだ。いい音を聞くことで、あなたのオーディオセットの音質は飛躍的に向上する。

2008年 5月 逸品館代表 清原 裕介