エレクトリから「ambrosia
2000」の試聴機が届いた。早速開梱して、「ampzilla
2000」に繋いでみる。出てきた音は、あまりにも「ampzilla
2000」そのものだった。半日ほど聞いて、このレポートを作成するために一端プリアンプを外して、撮影のために頻繁に電源を入れたり切ったりした後に、もう一度「ampzilla
2000」に繋ぐと、なんと!撮影時の頻繁な電源のON-OFFで「ambrosia
2000」は、あっさり音を上げて片方のchが壊れてしまってDC(直流)が漏れていた。
それに気づかず、また悪いことに「バランス」で接続したためか、片側の「ampzilla
2000」にDC(直流)がまともに入って壊れてしまったのだ。片側の音が出ない。万事休す。勢い込んでいたのにこれでレポートは書けなくなってしまった。すぐにエレクトリに連絡し、その日のうちに壊した「ambrosia
2000」を返却し、壊れた「ampzilla
2000」と共にエレクトリに返送した。そして、翌々日(つまりエレクトリは、ampzilla
2000を一日で修理してくれた。この対応はさすが老舗だ)に、注文していた新品の「ambrosia
2000」と修理が完了した「ampzilla
2000」が手元に戻った。
さあ、仕切り直しの気分で「ambrosia
2000」を開梱して取り出す。すると、今度は「中でカラカラ音がする」ではないか!なんという不運。私自身は、機械もののあたりは悪くない。それどころか人がさわると壊れて動かないものでも動かしてしまえる特技を持っている。なのに「ambrosia
2000」は、言うことを聞かない。
この動作の不安定さ、品質の物足りなさはなんだろう?音を出す前に、すでに大きな不満を感じていた。
これじゃ商品にならないから(お客様に安心して薦められないから)音を聞かずに、エレクトリに叩き返そうか!と思ったけれど、ここまで来たらそれも面倒なので、20本近いネジを外して天板を開けると、思った通り「銀色のネジが一本」落ちていた。
「ambrosia
2000」の内部を一通り点検してみたが、ネジの外れた形跡はない。それに、使われているネジはすべて「マイナス」なのに、外れていたのは「プラス」のネジだから、たぶん製造中にどこかにはまりこんだネジが、輸送中に外れて落ちたのだろうと想像し、立て付けの悪い天板をふうふう言いながら、元に戻し、やたら多いネジを締めていると、あろうことかフロントパネルの裏側(見えにくいところで良かった)に傷を付けてしまう体たらく。ああ、今日は本当についてない。(ただし、中を開けたことでambrosia
2000の回路と構造がオーディオ的に吟味された設計であることは理解できたのでよかったが)
こんなことがお買い上げいただいたお客さんのところで起きていたら・・・。想像すると気分が良いはずはない。今回の試聴は、音を出す前から、もうかなりブルーな気分。その上、今日はちょっと風邪気味で体が熱っぽいし、年末に向けて忙しい中、トドメの休日出勤。本当は家でゴロゴロしていたかったのに・・・、これ以上嫌なことが重なることはないほど仏滅な気分になる。
ただし、「ambrosia
2000」はともかく「ampzilla
2000」の名誉?のために付け加えるとすれば、このアンプは、動作が不安定で壊れやすいのは欠点だけれどオリジナルの「ampzilla」のようにスピーカーを傷めることはない。今回は、特別な例でアンプ本体まで壊れてしまったが、ほとんどの場合本体に装着されているフューズが飛ぶだけだ。納品した「ampzilla
2000」も、何かのタイミング?が悪いと、フューズは結構飛ぶことがあるようだがスピーカーを壊したこともないし、アンプ自体が壊れることもないから、その点では安心?していられるのだが。(心臓の弱い方には、間違ってもお薦めできない製品)
これ以上トラブルが続いては、神経が持たないので(堪忍袋の緒も切れる)慎重に慎重を重ねて接続を確認し、「ambrosia
2000」から電源を入れる。1分ほど待って動作が安定したのを確認し、おそるおそる「ampzilla
2000」の電源を入れる。そして3号館にある一番壊れてもかまわないスピーカー「IMAGE11/KAI-S」を接続し音を出して、正常に動作することを確認して一安心といいたいところだが、この残留ノイズの大きさはなんだ!ドルビーを使わないカセットテープのヒスノイズほどの音量といっても大げさではないほど盛大な「シャー音」がスピーカーから出ている。静かな部屋ならスピーカーから数メーター離れても、その音はしっかり聞こえる。もし能率が90dBを越えるようなホーン型スピーカーと接続したら、普通の人は耐えられないほど大きな音が出るのは想像に難くない。ハムノイズがでていないのが、せめてもの救いか。
ボリュームを絞りきっても、音量は「−58dB」までしか絞りきれないからスピーカーから普通に音は漏れる。もちろん、MUTEを入れると音は消えるから実用上問題はないはずだが、なんだか変な感じ。そして、セレクターを変えたり、ボリュームを操作するとそのたびに「ジリジリ」という小さな音がスピーカーから聞こえる。たぶん、搭載されているマイコンがリレーを切り替えるときのノイズなのだろうけれど、今時こんな無神経なノイズを発生するプリアンプなんて考えられない。
使う前に、付属のショートピンを挿さなければいけないし、フォノとテープ入力が2系統あるとか、サービスコンセントが沢山あるとか、まるで20年以上前のアンプをさわっているような気分になる。あらゆる意味で「前近代的」。期待していただけに、トラブルから始まって盛大なノイズを聞かされてしまい、その上すでに述べたように体調も悪いと来ると、もう音を出す前に「返品」したい気分だ。この気分、高いお金を払って「ambrosia
2000」を購入した方も同じ思いをするだろうから、ヘンなお願いを承知で、十分肝に銘じて欲しいと思う。
さて、長い苦悩の日々と時間を終え、最初に「SA8400/Special」と「T3G」を繋いで音を出してみた。なぜSA8400/Specialを最初に繋いだかというと、このCD/SACD専用プレーヤーの音は、最近の私の作るプレーヤーとしては「音が渋い」からだ。音の鮮度は抜群でホログラムのように音場を描き出すけれど、その代償として私の好みよりは、音の輪郭がクッキリしすぎて少し平面的な感じが残っている。もちろん、それはこのモデルに与えた「ねらいの音」で、それでも世間一般の「つまらない音」よりは遙かに音楽的だけれど、ソフトの持つ楽しさをプラスアルファで引き出すよりも、どちらかといえば演奏の持つ内面的なストイックさを追求するような音作りになっている。
本当なら、こんな気分の時には「ちょっとしんどい」と聞こえるかも知れないギリギリの音のプレーヤーを鳴らすのは、間違っているのがだ、かなり頭に来ていたこともあって、どうにでもなれ!とちょっと意地悪な気分も入って音を出した。それに、どうせ最初から「良い音」なんて聞けるはずがないから・・・というあきらめもあり、ソフトも、その辺に転がっているいつも聞いているような適当なものを突っ込んで、さっさと机に戻って仕事を再開する。疲れているし、とても音楽を聴いてリポートを書ける気分じゃない。悪口ばっかり書き連ねたい気分だし。さっさと「ambrosia
2000」の欠点を見つけて、「返品」しよう。早く縁を切りたい、そんな感じだった。
でも、1曲目が終わるころには、そんな気分は嘘のように消えていた。そして、2曲目が始まることには、このアンプを買って(試聴機ですけどね)よかった!と心から思わされていた。自分でもこんな心変わりは信じられない!あれほど腹が立っていたのに、その気持ちがたった10分も立たないうちに霧散してしまうなんて。
学生の頃ディスコで聞いた(歳がバレるが)マイケル・ジャクソン、ケイト・ブッシュ、ドナ・サマー、初期のマドンナ、ダイアナ・ロス、このアンプで聞くこれらのソフトは、本当に「熱い」!現代HiFiオーディオが持っている「安心感」は、このアンプには求められないが、現代HiFiが失った「魂」をこのアンプは持っている。
すごい!音に「魂」を込めることなら私にも出来るけれど、この「ドラム」、この「ギター」の音は出せるだろうか?直感的にこのアンプは「肉を食う人種特有のエネルギー感」を持っていると感じる。黒人の打つドラムのような、エネルギッシュな音。「米を食う日本人」には、出せない音なのかもしれない。
悔しいけれど脱帽。嬉しいくらい楽しい。さっきまでの鬱々した気分なんて、たった数分で飛んでしまう。体がだるかったはずなのに、頭も痛かったはずなのに、気がつけばそんなこと忘れてしまっている。音楽の持つエネルギーがアンプで増幅されて体に流れ込んでくる。下手な心療カウンセリング(受けたことはないが)よりも、こいつは効くはずだ!
とにかくその音に翻弄されている自分の気分を落ち着けて、出来たばかりのDV12S2/Special-Mark2にプレーヤーを変え、スピーカはIB1S+AIRBOW
CLT-2/CRYOのお気に入りの組合せを繋いでみる。
ROCK,POPSを皮切りにCLASSICS,JAZZ,あらゆるジャンルのソフトを聞きまくる。CD/SACD/DVD-AUDIO、ジャンル、もメディアも問わない。そして、あろう事かプレーヤーやスピーカーさえ支配して「ambrosia
2000」+「ampzilla
2000」は、淡々と音楽をエナジーに変換してゆく。
サラウンドででもないのに、背後から音が回り込んでくる。ボーカル、ベース、ドラムの位置関係の立体感がすごい!多くの国産品の「平面的な音」とはまるで違う。本当に「次元が違う」という言葉でしか表現できないほどだ。低音は底知れず伸び、そしてしっかり弾む。面白いのは、他のアンプで聞くと「音と音の間に隙間がない」のに、ambrosia
2000」+「ampzilla
2000」で聞くと「一つに聞こえた音」がじつは「二つだった」と分かるほど「音と音の間に隙間(非常に良い意味で)」が生まれることだ。音楽構造が立体的に再現される。その言葉が最もふさわしいと思う。2chなのにサラウンドを聞いているようなこの音は、体験しないと伝わらないかも知れない。
高音は、切れ味抜群で透明。すきっと伸びているが、全然キツくない。立ち上がりが抜群と言うわけではないのだが、聴感上の切れ味は、これ以上は不要とさえ思えるほど素晴らしい。あらゆる音が生き生きと「輝いて」いる。不思議な音。不思議な世界。全ジャンルが素晴らしく鳴るけれど、今はまだROCKを中心に聞いている。それがこのアンプにふさわしいと感じるからだろうか?日本人なら「渡辺美里」や「忌野清志郎」が合う。あっけらかんとして「明るい音」。でも、それは「哀しみ」と表裏一体。どん底を抜けてきた者だけが持つ、本当の「力強さ」と「優しさ」。それが音になって出てくるのだろうか?
「ambrosia
2000」+「ampzilla
2000」。見かけもノイズも前近代的。その音も紛れもなく前近代的。しかし、それはアンプが「魂」を持っていた時代の音。初期のマークレビンソンやJBL、スレッショルドのステイシス1やステイシス2、「その時代の熱い音」が蘇る。いやそれ以上かもしれない。このアンプの音は、「麻薬」的。聞く者を虜にして離さない。James
Bongiorno 渾身の「作品」。
体が奥底から震えるような感動。思わず涙ぐむほどの感動。明るいばかりじゃなくて、影もある。生きてるってドラマティック!生きてるって楽しい!音楽ってこんなに力強い!こんなアンプが家にあれば、人生はきっと明るくなる。それは、絶対に間違いがない。出来の悪さは保証する。神経の細い人には絶対向かない。だが、その音の凄さも保証する。「ambrosia
2000」+「ampzilla
2000」は、音楽を心から愛する人のための、人生を心から楽しみたい人のための、愛をなによりも大切に思う人の「最後」のアンプになる可能性を秘めている。
素晴らしい音。
こんなに「魂が熱くなる音」をオーディオで聞いたことはなかった。この「音」は、人が集まる場所にこそふさわしい。この音は、「心を救う」と確信できる。ambrosia
2000」+「ampzilla
2000」を聞きに来て欲しい。その音はきっと明日を信じる力と勇気をあなたに与えてくれるはずだから。