言語と音楽の違い
私達が使っている「言葉」は、正確な情報伝達に欠かすことができません。けれど言葉を持つ前は、人間も動物たちと同じように鳴き声によってコミュニケーションを行っていました。音楽は、言葉を使わないコミュニケーションの「名残」であると同時に、言葉では伝えられない「抽象的なイメージ(例えば心象)」などをより深く伝えるために、言葉とは異なるコミュニケーションとして発達しました。
生まれたばかりの赤ん坊は、言葉を話すことができません。ただ泣いています。けれど赤ん坊は誰に言われるでもなく、大人のまねをすることで「音の高低・長短・強弱」の使い方を覚え、やがては「母音や子音も違い」さえ使い分けるようになります。そして大人から「言葉の意味」を教えられ、言葉を話すようになります。
音楽は、その声の使い分けを学ぶ過程、母親の声をまねて追いかけるように発音する、生まれながらに持っている能力を利用して、「音の運動」や「音色(声色)の変化」から豊かなイメージを連想・共有するものです。人種、性別、年連が異なっても、音からイメージを連想する方法は同じです。だからこそ音楽は、世界中で理解され、愛されているのです。
本来は、このように「抽象的なイメージ」を「音の変化」に置き換えることで発展してきた音楽ですが、最近では「ラップ」などのように「言語」を使って「直接的にイメージを伝える音楽」も発達してきました。しかし、あまりにも「言語」に頼りすぎることは、音楽そのものの「抽象性」を損い、イメージの広がりや深さを損います。最近の音楽が「すぐに飽きられる」のは、そういう理由なのかも知れません。
また、「音質が貧弱な圧縮された音源」では、アコースティック楽器の複雑な響きが伝わらないため「言語」がより重要になってきたことも原因として上げられますが、結果として「クラシック音楽」の衰退を招きつつあります。
逸品館がお薦めするオーディオ機器は、例え価格が安くても「音楽が伝わる力」を持っています。逸品館お薦めのオーディオ機器を使っていたら、「クラシックがこんなに素晴らしい音楽だったと初めて気づいた」という声が寄せられることがあります。それは、やはり同じようにオーディオ機器が良くなって「クラシックの良さに目覚めた私」には、とても共感ができる、嬉しく思えることです。
「クラシックが好きになれるかどうか」は別としても、購入したオーディオ機器によって「新しい音楽の素晴らしさに気付ける」ことは、とても素晴らしいことだと思います。