タイタニック(CD)
一音が出た瞬間の"静けさ"が他社のスピーカーとまるで違う。クリスタルのような透明感、クリスタルの輝きを放つような高域の切れ味。虚飾をそぎ落とした見通しの良い中域。重低音部まできちんと伸びているにもかかわらず、決してブーミーになることのないトランスミッションラインがもたらす濁りのない低域。そのどれもがPMCならではの素晴らしい持ち味だ。
iシリーズへのモデルチェンジで変更されたのは「ツィーター」。表面に反射や振動を整えるプレートが装着され(AIRBOW
SWEET-RINGと同じ考え方)高域の切れ味と透明感がさらに向上している。このツィーターの良好なレスポンスを生かすべく、スコーカー、ウーファー、ネットワークにもぬかりなく手が入れらているらしい。昨日聞いたフランス的でアンニュイな魅力に溢れた1000Sシリーズも素晴らしいスピーカーだったが、タイタニックを聞く時、私にはこのクールなPMCの音がより肌に合う。
PMCの最大の魅力は「音の美しさ」にある。一切の濁りが無く、どこまでも透き通っている音。波一つたたない、澄みきった湖を見ているようなきめが細かい音。度重なる値上げで価格こそ上昇してしまったが、この音を聞くとそんなことは完全に忘れてしまう。PMCにしかない、PMCだけのその音色を一度でも味わってしまうと、もう二度と他のスピーカーには戻れない。
1年以内に聞いたスピーカーでもっとも強く印象に残った、ZINGALI
1.12が“動”なら、PMCは“静”を極めた作品だ。デザインされた外観を持つ“ZINGALI
1.12”に対し、あまりにも素っ気ない“PMC”。音も外観も含め全く対照的な二つの製品だが、そのどちらもが非常に素晴らしく感じられる。ZINGALIとPMCは、一枚のソフトを全く異なる角度で描き出すがそれぞれが完全に矛盾のないアートとして結実している。
OB1iを聴いた情感は上手く言い表せないが、このスピーカーは心のとても深い部分に触れて来る。ノリが良くて馬鹿騒ぎ!という感じではなく、心の奥底から感情が込み上がって、それが堰を切って溢れてくるような、そんなイメージの感動を覚える。季節に例えるなら、
FOCALは「春」、ZINGALIは「夏」、そしてPMCは「冬」。季節は違っても美しいものの美しさに変わりはない。
「冬」のイメージは、静寂。しかし静寂の中に音楽を凍結し、躍動感・生命感を奪ってしまうスピーカーがほとんどだ。PMCは、それらとは明らかに違う。静寂の中に躍動を表現できるからだ。静の中に動を極めたPMCで聞く音楽の感覚は、私たちが持つ「茶道」、「書」、「禅」のイメージに近いと言っても褒めすぎではないはずだ。
タイタニック(SACD)
最近購入したタイタニック(SACD)がCDとどれくらい違う音なのか?FOCALでは、それほど大きく感じられなかったそれぞれの違いが、PMCではどう描き出されるか?確認したくなってソフトを変える。
響きの透明感とエコーが消えてゆく時間の長さ、きめ細やかさが違って感じられるが、その差は、やはり今まで聞いたCD/SACDプレーヤーほどは大きくない。FOCALで感じたのと同様、黙ってソフトをすり替えられたらわからないほどの差でしかない。それくらいSA10/UltimateのCDの音はSACDに近いのだ。
納得して試聴を続けながら、旧モデルOB1との違いを探る。プレスリーリースを読むまでもなく、聞いてすぐそれとわかるOB1との差は、「ツィーターの切れ味」だ。それを確かめるため、同じ場所に設置しているIB1Sのツィーターと新型のそれを聞き比べる。新型ツィーターの立ち上がり、立ち下がりが速く(レスポンスが速い)、ダイナミックレンジがより大きく感じられるため同じソフトを聞いたときに、新型の方がより表現がドラマティックに感じられる。プレスリリースに書かれていた「家庭でのオーディオイメージの向上」は、このことなのだ。大きい音をより大きくするのではなく、再生限界の小さい音をより深く再現する。映像のコントラスト比に例えるなら「ブラックレベル」を下げるのと同じ考え方だ。PIONEERの“KURO”がそうであったように!
PMCの持ち味である"クール"な温度感は、新旧で変わらないのだが、静から動に移り変わるときのエネルギー感、躍動感が新型ツィーターの搭載で大きくなっている。また、この新型ツィーターに合わせて細部がリファインされているのが効いているのだろう。全帯域で旧モデルにも増して、音の濁りや不要な共鳴が少なく、磨き抜かれたその音の輝きがより突き詰められている。「静」すなわち、スクリーンにおける「黒の表現」が改善された結果、そこに描かれるそれぞれの色彩や細部のディティールが、見事なまでにブラッシュアップされている。それがiシリーズなのだ。
冷たさの中にある鋭い輝き。静と動の見事なまでの対比。切れ味と機能性を極限まで突き詰めることで芸術の高みに到達した"日本刀"と同じ"輝き"を新型OB1iに感じとれた。
ヒラリー・ハーン(バイオリン)
弦の切れ味、透明感は素晴らしいが、響きがややタイトでホールトーンはあまり感じられない。スピーカーを中心にホールトーンが再現されるのではなく、スピーカーが「バイオリンそのもの(バイオリニストそのもの)」になったような音の出方をする。自分で楽器を弾き、コンサートのステージの上で楽器の音を聞いているイメージだ。リスニングルームをコンサートホールにしたいと考えるなら、リスニングルーム自体の反射音をコンサートホールのそれになぞらえると完璧に近い「生の再演」が実現するだろう。
今回テストに使っているのは、AIRBOW
SA10/UltimateとPS8500/SpecialというAIRBOWのラインナップの中でも響きが豊かで音質が柔らかいセットなのだが、まるで生音の再現を突き詰めたサウンドに仕上げたAIRBOW
TERAで鳴らしているかのように切れ味が鋭く、鮮度の高い音が出る。AIRBOW
SA10/UltimateとPS8500/Specialのセットはこんな音ではなかったはずなのに・・・。
わかるのは、OB1iがアンプにほとんど負担をかけないということだ。スピーカーでありながら、アンプとヘッドホンを繋いだかのように「OB1iからは、アンプの素の音」が出てくる。国産品にありがちな、チューニングの行き届かない下手なアンプを繋いだら・・・、それはきっと悲惨なことになるだろう。デジタルアンプでは、どうなるだろう?下手をすると音がバラバラになって、音楽が空中分解してしまうのではないか?と余計な想像をしてしまう。老婆心かも知れないがOB1iは、あまりタイトなシステムでならさない方が良さそうに思える。
どこまでも引き締まったタイトな音。虚飾を廃し、贅肉をそぎ落としたOB1iで聞くこのソフトは、晩年のヨゼフ・シゲティーやヘルムート・バルヒャが奏でるバッハと共通するイメージの正に「静」の「バッハ」だ。繰り返しになるが、PMCの奏でる「静」は、「躍動感がなく音が死んでいる」のとは違う。茶道のように、虚飾と無駄を廃した中に浮き上がってくる「生命感」と「静かで強い躍動感」で満ちている。
ジルベルト(ボサ・ノヴァ)
スタジオの空気。まず、それが明確に感じられる。精緻に計算され完璧に組み立てられたセッションの持つ美しいが味わい。ギターをつま弾く指使い、ピアノを奏でる繊細なタッチ、一音一音を"楽譜に置いてゆく"ようなベースの存在感。喉の奥まで見えるようなアストラッド・ジルベルトのボーカル。どこまでも克明で完璧に描かれ、音源が本当に近く感じられる。美しい音。でも・・・、ボサノバが持つ暖かな生命感、柔らかな色彩感をOB1iは上手く表現できない。どこかクールに音楽を分析的に聞いている自分の存在を感じる。知性が感情を越えられなように。
スタジオの緊張感と各奏者が出す、それぞれの音が完璧に分離されて再現されのは、嫌いな傾向の音ではないが、このソフトを聞くなら音と音の境目は、もう少し曖昧で混ざっている方が良い。このソフトに関しては、ZINGALIやFOCALがよりマッチするようだ。
ホルショフスキー(ピアノ)
ピアノの美しい響きがありのままに再現されるが、ライブ独特の気配感、ざわめき感、空気感に乏しい。ライブなのにスタジオで演奏しているように聞こえてしまう。FOCALとは、良い意味で全く対照的な音。どちらで聞く演奏が本物に近いか?それはわからないが、全く正反対に表現される。同じ絵を表と裏から見ているようだ。
ただし、今回のテストに供したOB1iは全くの新品なので、今後のエイジング次第でまだまだ柔らかさや色気は出てくるはずだ。ジャンパー線の調整を含め、そこをどうコントロールしてOB1iを自分の「もの」にするか?できないか?素材が透明なだけに、僅かのことで全体に「色」が回ってしまう。OB1iは、切れ味鋭い「刀」のように使い手を選びそうだ。P=Professional、M=Moniter、C=Company、正にその名の通りのスピーカー。素人が下手に手を出すと"ヤケド"しかねない切れ味を持っている。
チャイコフスキー4番(交響曲)
冒頭の金管の"鳴り"が凄い。切れ味抜群でパワフルだが、うるさくない。エネルギー感も凄い。無駄な余韻がないからだ。スピーカーに近づいて、ユニットに耳を近づけて聞いてみると、ネットワークで上下の音が完璧に遮断されていることがわかる。PMCならではの高度な技術により達成された24dB/octという急峻な遮断特性の面目躍如だ。
ここまで書き綴られたレポートからもおわかりいただけると思うが、OB1iを聞いているとどうしても「冷静な気持ち」になってしまう。それは決して嫌ではないのだが、音楽を「分析させよう」とする正統派モニターの血は争えない。なぜならこのスピーカーが生まれた目的は、その「傷」も含めてソフトに収録されている音と音楽のすべてを再現することだからだ。
音が脳に入り、精密に分析されてから計算ずくの感動が生まれる。知的好奇心を満たす音。イギリス人らしい、実に理詰めな音楽の再現方法である。私は、それを好むが、それを好まない人もいらっしゃると思う。そういう意味でもOB1iは、ZINGALIやFOCALと個性の違いがハッキリと感じられて興味深い。